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光の椅子に座る者は、椅子の下の影を思わねばなるまい 光の庭に美しく描かれた樹々の影を見るように 光と影を見る者は、光と影の階段を昇る The man who sits on the chair of light must turn over the shadow under the chair in his mind It's just like when he watches the shadow of the trees, beautifully drawn on the garden
ninjinさん いつもに勝って内省的ですねえ。 社会においても、個においてもも、果ては宇宙にあっても、光と影は二つで一つなのでしょう。 私たちに内在する光と影を、なるべく良いように取り扱うことが大事ですね。 そこに学問の価値があり、修行の目的があるのでしょう。 写真については、そもそもが、自然のありようを二次元の小さな画に描こうという企みですから、機構を駆使して思う画にすることはやぶさかではないでしょう。ただそれが行き過ぎると大方の支持を得られなくなるかもしれませんね。創造か、迎合か、悩ましいところですね。
2018年11月18日11時59分
ジョニー森永さん 写真は光と影の芸術と言われますが、今では、そこに色を加えてもよいでしょうね。 光と影と色、そのうち少なくとも二つは必要でしょう。支え合って存在するのですから。
2018年11月18日14時01分
ninjin
椅子の下の影は、栄光の地位を築くために 影となって支えてくれた他者の存在か? それとも己の隠すべき負の部分か? ドイツに金に目が眩んで自らの影を悪魔?に 売り渡した男の話があるそうな。 男は、富を手に入れたが周囲の人々からの 信用を喪ったとか、影が何の暗喩であるのか? 私たち寫眞を取るものが人工の光を駆使して 人物の影を除こうと躍起になることも大いに 不自然なことなのかもしれない。 問題を提起していただいた連作だと勝手に 考えております。
2018年11月17日16時41分