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1955年8月に名古屋の高校生からお見舞いとして折り鶴が送られ、折り始める。 禎子だけではなく多くの入院患者が折り始めた。 病院では折り紙で千羽鶴を折れば元気になると信じてツルを折りつづけた。 8月の下旬に折った鶴は1000羽を超える。 続きはコメ欄に。
硝子の心さん 毎度(#^^#) 実は広島を散策中に偶然この子の通っていた学校を見つけたのです(*^▽^*) いえいえ、お褒め戴き有難う御座います\(^o^)/ シンプルな美しさが在りました(#^.^#)
2018年09月23日21時13分
j.enamayさん 毎度(#^^#) お褒め戴き有難う御座います\(^o^)/ 戦争の災禍を呪わずには居られません・・・(;^ω^) お亡くなりになられた方々に合掌です(ノд`)
2018年09月23日21時23分
マスター
その時、同じ部屋に入院していた人は「もう1000羽折るわ」と聞いている。 その後、折り鶴は小さい物になり、針を使って折るようになる。 当時、折り紙は高価で、折り鶴は薬の包み紙のセロファンなどで折られた。 1000羽折ったものの病気が回復することはなく同年10月25日に亜急性リンパ性白血病で死亡した。 佐々木禎子さんから始まった悲しい物語(>_<)
2018年09月22日12時58分