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昔々あるところに小さな車がおったそうな。 (中略)(笑) そして小さな車は風景になったとさ。
■シーサンさん >もう40年も前のN360でしょうか。 うひょーー!!よくわかりますね!! 別アングルで撮った写真にエンブレムが写っていたので思わず調べちゃいました(^^; N360の後継車のLIFE WAGONのインパネ・グリル型のようです。1972年モノですね。 http://www.honda.co.jp/soeno/photo_id/life/jpg/080_1b.jpg しかし、この写真だけでN360にたどり着くとは凄いです!!恐れ入りました!! ■shokoraさん >これが風景になってしまうとは!! この風景は、いつまでこのままでいられるんでしょうかね(^^; ■カズαさん >日本ちょい昔話カッコイイ。 中略のところが冒険心をくすぐりますでしょ?(笑) ■清水清太郎さん >昔、神社や神話の話をされていましたが ををーーーーーーーーーーーーーーー!! この写真を見てその言葉を言うとは、な、な、な、何と鋭い!! さすが清水清太郎さんです!! 実はこの写真の右手に映っている丘、これ古墳なのですが、 なんと、畏れ多くも第12代景行天皇の御陵でごじゃりまする!! あのヤマトタケルの父でごじゃりまする。 写真の右端に宮内庁による結界が張られているのがおわかり頂けますでしょうか?(笑) つまり、この車は、ひょっとしてタケル君の・・・・(爆) そして、この古墳の北側にひと際大きな古墳があるんですけど(さあ始まったぞ 笑) それが第10代崇神陵でして、景行の祖父にあたります。 この崇神天皇が、皇室内で代々祀られてきた神様を、もっと立派なところに祀るべきだと言いだし、 この御神体を皇居から持ち出して皇女の豊鋤入姫命に鎮める場所を探させました。 それ以来その御神体は全国あちこちを巡ることとなるのですが、 結局崇神存命中にはこれといった場所を見つけることが出来ませんでした。 その意思を継いだのが息子の垂仁天皇でして、つまり景行の父です。 垂仁の命を受けた皇女の倭姫命は御神体をあっちこっちに祀っては移動を繰り返しました。 そして、とうとう理想的な場所を見つけました。 実に90年間たらいまわしにされた神様がやっと鎮座することが出来ました。 その神の名はアマテラス。御鎮まりになったところは、言わずと知れた伊勢神宮でごじゃりまする。 実はこの話、今回旅するまで知りませんでした。というかあまり興味もなかったのですが(^^; この旅の後半で、ふとした思いつきで立ち寄った伊勢神宮の資料でこのことを知りました。 数日前に崇神陵を参拝したばかりの私はビックリ仰天っすわ(笑) 行き当たりバッタリで思いつきの旅だったはずなのに、 無意識のうちになにかとんでもないものをコンプリートしてしまったような。。。。 「崇神のおっさん、仕組みやがったな」と心で呟いてしまいました(笑) ■蒼.さん >え〜〜〜〜、(中略)なのぉ? ケチw だって、内容が18禁なんですもの(笑) ■yaoさん >HDRが効いているように思います。 オートHDRこういうの撮るときに本当に便利っすね(^^; ■どんさん >昔々、どんな人がどんな思い出を作った車なのでしょう。。。。 きっとヤマトタケルが乗り回したに違いありません(違)
2010年05月20日08時38分
■Take&Labさん >全体的な色合いに錆びた色がマッチしてますね。 いい錆っぷりでしょ?(^^) ここまで錆びるんだって関心しちゃいました(笑) ■清水清太郎さん なるほどー! 諡号からその天皇の役所が解るというのは納得ですねぇ。 元々生前を忍んで付ける送り名ですもんね。 崇神がある時代の王朝の初代であった可能性も、 様々な文献から察するに説得力がありますね。 学術的見解が、実在した可能性が高い最古の天皇としているのも、 これらに由来するのかなぁと。 私が思うに、卑弥呼は近畿に来ていると思うんですよね。 近畿に来て王朝を作ったのは卑弥呼だと思うんです。 邪馬台国は九州から近畿に移ったのではなく、九州と近畿の両方にあったと考えてます。 九州の王はイザナギ、近畿の王はアマテラス。 勿論彼女はその間を何度か往復したと思います。 で、彼女は九州にいるときに死にました。 で、次のような説はどうでしょう?(^^; 当時九州の邪馬台国は狗奴国と戦争中だった。 その時イザナギが死んで混乱が起きたか、 もしくは戦況が不利になってきたために援軍を引き連れて九州に行ったのか、 とにかくなんらかの理由でしばらく九州にとどまらざろうえなくなった。 で、そのまま九州で死んでしまった。 近畿の皇室ではアマテラスの魂を祀り、新しい王を立てる。 しかし時が経つにつれ次第に支配力が弱まり、王位を争って混乱が起きる。 そんななかで王位を勝ち取ったのが崇神であった。 彼がアマテラスの神体を外に出したのには二つの理由があるのではないかと。 一つは、「もはやアマテラスの力などいらぬ」という意思を周りに知らしめる為。 もう一つは、皇室を乗っ取ったことに対するアマテラスの呪いを恐れていた為。 そこで怒りを鎮める場所を探させた。 生前のアマテラスは男を寄せ付けなかったため、それらは女性の手によって行われた。 まぁ、私の勝手な空想ですけど(^^; ■Seasideさん >だんだんと風化していくんでしょうね 鉄って意外としぶといですよね(^^; ■草場陰郎さん >あの頃の昔に戻りたいなつかしい気持ちになったS39年生まれの私です。 をを、私は43年です。すっかりオジサンになりました(^^; ■Gaiaさん >HONDAの行く末を暗示していなければよいが・・・。 これだけのしぶとさがあれば大丈夫じゃないっすかね(^^; ■鮎夢さん >役割を終え、打ち捨てられ、ふたたび自然に還っていく。 古いモノを見るといろいろと話しかけてしまいますよね(^^; ■lachrymaさん >金属とHDRって相性いいですよね! この逆光でオートHDRがなければ、空か車のどちらかを捨てなければならないところでした(^^;
2010年05月22日06時41分
■清水清太郎さん >かなり前に読んだ本で目から鱗だったのが井沢元彦著「逆説の日本史」1巻です。 おお、ありがとうございます。 なぜかタイトルだけ知ってましたが、まだ読んだことがありません。 今度読んでみます(^^) ■pageさん >このままこの車は朽ちていくのでししょうか… いつかまたこの地に赴く時があったら、またここに行こうと思います(^^) 残ってたらいいなぁ。。
2010年05月22日11時00分
確かに初代ライフですね。 N360はリアゲートが樹脂製なのですよ。 CB360の空冷エンジン載せて速かった!父親が乗ってました。 N360後継はスポーツ系はH0NDA Zでファミリー系はライフになったと 記憶しています。 それにしても見事な錆び方! 「エンジン一流ボディ三流」と云われたH0NDA車ならでわの一枚ですね。
2010年05月23日03時11分
■閑古島さん >「エンジン一流ボディ三流」と云われたH0NDA車ならでわの一枚ですね。 ここまで原型とどめているところがスバラシイでしょ(^^) エンジン手入れしたら走ったりして。 ■eguruaさん >なにより、中略に笑いました^^ この物語は、そこが一番肝心なところですよね(笑) ■高ちゃんさん >この作品の後には出せまっせん(-_-;) え゛~!出して下さい(笑) ■kazさん >オートHDRってイイ雰囲気になりますね^^ そうなんですよね。今までだとシルエットにするか、夕焼けを捨てるかだったんですけど、 肉眼で見たのにすごく近く撮れるんですよ。 でもJPEGオンリーなので、これでRAWが撮れたらもっと良いんですけどね(^^;
2010年05月29日08時50分
シーサン
もう40年も前のN360でしょうか。 確かに風景の中に溶け込んでますね^^ 背景の夕陽も素敵です。
2010年05月19日17時43分