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近くとも遠くなりけりふるさとは 父母弟妹と友のいたころ ふるさとの山に日が沈む。 私の生まれ故郷は、いま住む同じ町にある。 車で15分ほどの山あいだ。いつでも帰れる。 時々むかし暮らした家に帰れば、懐かしいと思う。 しかし、つくづく思う。 私のふるさとは、祖父母、父と母、弟妹たち、そして山や田畑をともに走り回った友だちだ。 過ぎ去ったあの日々がふるさとなのだ。
yoshi.sさん こんにちは 過ぎ去ったあの日々がふるさとなのだ… そうか、場所だけてなく思い出の日々もふるさとなんですね。。 私にとってはphotohitoも、心のふるさとって事なのかなと考えました。 yoshi.sさんには、エッセイで嬉しいコメントいただいたりと、ありがとうございました。書くことの励みになりました。 photohitoでの投稿はもうしませんが、このまま登録だけでも残しておけば皆さんのお写真見れるかな、それとも抹消するかと考え中です。 でも、エッセイはあちらで書いてますので、お暇な時はのぞいてみてくださいね。
2024年05月12日10時40分
去年の12月、父や母、姉妹たちで暮らしてきた実家を家じまいしました。 未だに 両親への申し訳ない気持ちと ぽっかり穴があいたような どうしようもない気持ちが押し寄せてきます。 妹から「すっかり更地になってたよ。写真送ろうか」と言うてくれますが、 どうしても見れなくて 「また今度でいいよ」と言う私がいます。 祖母の頃から慣れ親しんだ金木犀や椿。ゴツゴツと力強い枝に真っ白な大きな花が咲くモクレン。 葉っぱや落ちた花びらの掃除に 毎年毎年四苦八苦。 父の笑顔。姉妹でけんか。母の叱る声。 数えきれない思い出が 次々と蘇ってきます。 そんな今、この画とキャプションに救われた思いがします。 「過ぎ去ったあの日がふるさとなのだ」 私にもかけがえのないふるさとがあるんだ。そう思っていいんだと、思えました。 ありがとうございます。 yoshi.sさんの作品から 発見や感動、きづきを頂いてます。 ほんまに ありがとうございます。
2024年05月13日15時29分
いずっちさん そうでしたか。 もちろん家、塀、庭、木々、道、田畑、川、そういうものもふるさとですが、やはりあの日々、あの人たちですね、ふるさとは。 ふるさとは、いつでもありますよ。心の中に。
2024年05月13日17時23分
ぶっちゃん
こんにちは。 コロナ禍を除き中学の同窓会を毎年開きますが一人減り二人減り さ〜今年は何人減っていることでしょう。
2024年05月11日12時22分