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超高感度撮影にトライしてみた。 ISO40000。さすがにノイズがすごい。 ところがそのノイズの画に味がある、・・と思う。 被写体によりけりだろうけれども、これならもっと挑戦してもいいかな。 これが手持ちで撮れるのだからカメラの進化はすごい。
Sr.にっしゃん 味は、アナログ的なものです。 オートでは無理ですよね。 現状のものでも、やりようによっては自分の味を出せるのではないかと思います。 露出コントロールは自分なりにやっていたのですが、今回、高感度のマイナス面と思われていた要素を、味に転換できることが分かりました。いろいろと試してみます。
2020年08月02日23時47分
ある時期 デジタル化した写真というのはトラブルの証拠になるのかというのかということについて、話しあったことがあります(30年前)。 その時カメラ個別の暗号情報を作らなければ、最終的に改ざんは不可能という話になったと思います。 また、同時に写真芸術はどうなっていくのかというのも酒を飲みながら話しました。2つの点からの距離計測で絞り を自由にというのも出ましたが、最近のスマホで実現しました。表示が立体というのは3D-プリンティングですね。2Dという制約を使いたいという範疇にするにしても、撮影するという行為とそのデータから希望の画像を抽出するという行為は、前者のデータ量が多くなるほど後者の自由度が増えすぎてそちらで写真が決まるのではないかという感じで終わりました。 カメラが高性能になるほど、写真という芸術は何なのかと問われてゆくと思います。
2020年08月03日21時58分
頑張れ!てんちゃんさん ことアートに関しては、新しい方法、もしくは手法、が生み出されれば新しい印象の作品が生まれます。 鑑賞する側が、それを是とするか否とするか。 ヨーロッパの印象派にしても、初めはこき下ろされたが、やがて評価を受けるようになった。また横山大観たちの日本美術院にしても、最初は朦朧体と揶揄されたが、やがて日本美術の主流のひとつになった。 写真は、カメラという機械の発達によって表現の幅が広がった。白黒で始まり、カラーが登場した。紙にプリントするのが写真だったが、いまはディスプレイで見るのが写真になった。 いまカメラはコンピュータ化しています。当然ながら、機械の機能/能力は人間を超える。すると人間のできることは、カメラの能力を引き出すことと、何をもって良しとするか、というセンスを磨くことだろうと思います。前者は技術。後者は感性です。その両者の統合が、写真芸術ということになると思います。 技術の進歩によって感性が高められる、あるいは広げられるなら、何よりです。 ただ、進歩だけが良いとも限りません。あえて白黒で撮った写真が心を動かすこともあるのですから。もっともカラーと白黒をボタンひとつで使い分けられるようになったのは、やはり進歩の効用ですね。
2020年08月08日13時24分
yoshijinさん 森の中、夕闇せまる中でも手持ちですか。 yoshijinさんはあまり高感度にはしないでしょう? 人間三脚の技が確かなのですね。
2020年08月12日12時15分
はなてふ
>ノイズの画に味がある 撮ったことの無いわたしでも分かる気がします^^ 次作をお待ちします!
2020年08月02日21時22分