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この花固まりは、結(ゆい)を思い起こさせる。 まだ耕耘機などの農業機械が一般的ではなかった頃、田舎の人々は寄り合って、互いに田植えや稲刈りを手伝った。手を貸し合う、と言っていた。この習慣を、結(ゆい)という。 家々ごとに作業をするよりもはるかに楽しく、仕事の捗(はか)が行ったのだ。 子どもは子どもどうし、その廻りで遊んだ。 昼にはみんな集まって、少し広い畦でお昼を食べた。みんな草に座っていた。休憩にはお茶を飲んだ。 「お昼だよー」、「お茶が入ったよー」という母の声を今でも懐かしく憶えている。
梅の美しさに目を見張りました。 結・ゆい 懐かしい言葉です。田舎育ちですからよく知っています。 両親が務めていたので元気な祖母がお茶当番を引き受けていました。 祖母の手伝いが楽しくて今でも忘れられません。 「よく働くねぇ」と皆から褒められるのが嬉しかったんですね。
2020年02月21日17時50分
michyさん そうですか。michyさんもゆいの一翼を担っていたのですね。 「よく手伝いする子どもだなあ」。「役に立つ子どもだ」。そんな大人の声が嬉しかったですね。 だれかの役に立つ、というのは子供心にも誇りに思えたのですね。 手伝い。手を貸す。役に立つ。いまはそんな言葉すらも死語になりかねません。人と人との結びは、どうやって行えばよいのでしょうね。
2020年02月21日19時16分
オーちゃん!さん いいことおっしゃる! 距離を置いての触れ合いなら、ここは心地よい場所です。私も居心地の良さを享受しています。しかし結にはほど遠い結びつきでしょう。互いに顔も知らないのですから。 でもそれは現実の人間関係でも同様かも知れませんね。親身になって、などと言う言葉はもはや死語かもしれません。 しかしだからこそこの場がせめて、互いを尊重し、敬意を持ち合えるような精神を醸成する場となるよう、私たち自身が心がけなければならないと思っています。
2020年02月22日01時12分
はなてふさん 結は、相手を思う心とか、やさしさ、などということよりも、現実的な実利のための共同作業です。その結果として、共感や好意が生まれ、思いやりの心が生まれて来たのだと思います。 およそ、思いを遣る、という行為は人間の最も崇高な精神のあり方でしょう。機械やシステムによって、助け合いという機会が失われて来ているいま、それをどう醸成するか、ということが現代人の課題なのでしょうね。
2020年02月22日09時57分
オーちゃん!
農耕文化の国である日本ですからね・・・!♪ 言われたように農業に関係ある生活から生まれたものの名前も、たくさんありますからね・・・!♪ 煮しめの『たつくり』、御馳走の『すきやき』『でんがく』などがそうですね・・・!♪
2020年02月21日15時24分