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幸村は3,500人ほどの兵力で約1万3,000人の松平忠直の部隊と交戦していましたが、四天王寺付近で毛利隊が大活躍します。 本多忠朝を討ち取り、東軍先鋒部隊を潰走させたばかりか、榊原康勝ら2番手、3番手も壊滅させたのです。 これで家康の本陣が丸出しとなりました。 松平忠直はこのとき、真田隊との交戦を避け、大阪城方面へ移動しようとします。
華都さん 毎度(*^^*) 僕は「燃えよ剣」ですかね(*^▽^*) ぶれない生き方、男の美学です(^_-)-☆(笑) 早乙女貢や海音寺潮五郎の著書を読みますと其々に郷土色が出て偏りが有るのも味ですが、司馬遼太郎は割りと偏り無く作品を仕上げてるなとの感想です(^^ゞ
2019年02月28日16時48分
マスター
幸村はこの一瞬を見逃しませんでした。 浅野長晟が寝返ったとの虚報を流し、東軍を混乱させると、松平隊を突破し、家康本陣へ3回にわたって突撃をかけます。 三方ケ原で武田信玄に敗れて以来、倒れたことのなかった家康本陣の馬印が引き倒されました。 旗本は恐れおののいて四方へ離散、家康も馬に乗って逃げ出します。 江戸時代に書かれた島津家の伝承記「薩摩旧記」には「真田日本一の兵、徳川方は半分敗北。家康が切腹も考えていた」と記されています。 家康本陣を守備していた藤堂高虎の一代記「高山公実録」には「御旗本大崩れ」と書かれ、家康の行方が一時分からなくなったとされました。 家康の旗本大久保彦左衛門が記した「三河物語」には「旗本が混乱して家康を見捨てて逃亡した」と書かれています。 とか(^_-)-☆
2019年02月27日23時57分