yoshi.s ファン登録
J
B
野を分けて水が流れる 一条の流れとなって 岸辺が崩れ行く手を阻んでも ある時は曲がり あるときは押しのけ あるときは乗り越えて 水は流れる 一条の流れとなって なぜって? 定めだからさ
旅鈴さん 私のところでもありました。 道普請と呼んでいました。道端の草を刈ったり水たまりを直したりしていました。 道普請で、側溝や田んぼへの水道(みずみち)も直しました。 田植えや稲刈りを手伝い合う『結(ゆい)』などと同じで、地域の人が互いに助け合う仕組みが習慣としてあったのですね。 いまは、田んぼは機械があるので一人ででもできる。道路や側溝、川は行政の仕事。 住民が協力する機会が少なくなっています。 そんな中で、お祭りは大切ですね。
2018年12月16日17時36分
旅鈴
水田を潤す水の流れる溝は、その水を必要とする皆の物で、 溝普請などという習慣があり、当番の時は兄が仕事を休んで行ってました。 昔はコンクリートじゃなかったから、頑丈じゃなかったのですね、きっと。 だから普請で修繕していたのですね。 その当番のことを出役(でやく)と呼んでいた記憶があります。 そういう習慣は他ではありませんか。
2018年12月15日20時32分