ジョニー森永 ファン登録
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池袋 立教大学 昭和19年 レイテ島で米軍に特攻した 立教大卒 植村眞久海軍大尉(25歳)の 遺書を以下に載せます。 私は時々「きけわだつみのこえ」を読み返しながら、日頃 呑気に撮影できる 幸せを噛みしめるのです。ありがたいことです。
ジョニー森永さんは九州の知覧にある特攻平和会館をご存じでしょうか。先日数年ぶりに訪れましたが、展示内容の変化に驚きました。最初に行った頃はジョニーさんがご紹介されているような特攻隊として亡くなった方々が家族を思うような手紙が多数展示されていて、涙なしでは読めない内容でした。が、今回は全くと言っていい程それがなく、やたら勇ましい内容の遺書ばかりが目立ちました。「国の為に喜んで死ぬのだから誇らしく思って欲しい」的な物です。 彼らの死をどのように伝えて行くべきか考えさせられました。
2018年09月25日09時04分
ジョニー森永
愛児への便り 素子、素子は私の顔をよく見て笑ひましたよ。私の腕の中で眠りもしたし、またお風呂に入ったこともありました。素子が大きくなって私のことが知りたい時は、お前のお母さん、住代伯母様に私の事をよくお聴きなさい。私の写真帳も、お前の為に家に残してあります。素子といふ名前は私がつけたのです。素直な心のやさしい、思ひやりの深い人になるやうにと思ってお父様が考へたのです。 私はお前が大きくなって、立派な花嫁さんになって、仕合せになったのをみとどけたいのですが、若しお前が私を見知らぬまゝ死んでしまっても決して悲しんではなりません。 お前が大きくなって、父に会いたい時は九段へいらっしゃい。そして心に深く念ずれぱ、必ずお父様のお顔がお前の心の中に浮びますよ。父はお前は幸福ものと思ひます。生まれながらにして父に生きうつしだし、他の人々も素子ちゃんを見ると眞久さんに会っている様な気がするとよく申されていた。 またお前の伯父様、伯母様は、お前を唯一つの希望にしてお前を可愛がって下さるし、お母さんも亦、御自分の全生涯をかけて只々素子の幸福をのみ念じて生き抜いて下さるのです。必ず私に万一のことがあっても親なし児などと思ってはなりません。父は常に素子の身辺を護って居ります。 優しくて人に可愛がられる人になって下さい。お前が大きくなって私の事を考へ始めた時に、この便りを読んで貰ひなさい。 昭和十九年○月吉日父 植村素子ヘ 追伸、 素子が生まれた時おもちゃにしていた人形は、お父さんが頂いて自分の飛行機にお守りにして居ります。だから素子はお父さんと一緒にいたわけです。素子が知らずにいると困りますから教へて上げます。
2018年09月24日11時05分