写真共有サイトPHOTOHITO人と写真をつなぐ場所

yoshi.s yoshi.s ファン登録

写真句:高砂百合1

写真句:高砂百合1

J

    B

    青空にファンファーレ聞く祝い百合  高砂や、この浦舟に帆を上げて、この浦舟に帆を上げて、月もろともに出で潮の、波の淡路の島影や、遠く鳴尾の沖過ぎて、はや住吉 (すみのえ)に着きにけり、はや住吉に着きにけり

    コメント25件

    写楽旅人

    写楽旅人

    猛暑の夏に空を見上げた百合の構図に気持ちがスカッとします!

    2018年08月13日15時35分

    想空

    想空

    高砂や、、、、 お嬢様のご結婚おめでとうございます。

    2018年08月13日16時28分

    yoshi.s

    yoshi.s

    写楽旅人さん ただの百合ですが、エーイってなもんです。

    2018年08月13日20時03分

    yoshi.s

    yoshi.s

    想空さん 記念にと。 ありがとうございます。

    2018年08月13日20時04分

    オーちゃん!

    オーちゃん!

    【野のユリは 秋の来る向き 指して咲き】 ・・・翁・媼が植えたかな

    2018年08月14日10時07分

    ☆white

    ☆white

    ホント素敵な構図 『はっ』と驚かされました (^_^.)

    2018年08月14日11時58分

    yoshi.s

    yoshi.s

    オーちゃん!さん 詠むならこうでしょう。  野の百合は秋来ぬやうに盛りけり

    2018年08月15日11時21分

    yoshi.s

    yoshi.s

    ☆whiteさん ありがとうございます。 自分の思いがこう撮らせたのでしょうね。

    2018年08月15日11時21分

    オーちゃん!

    オーちゃん!

    yoshi.sさん! ユリの花は夏の季語だそうですが、このタカサゴユリは含まれていないそうです・・! 一般的には立秋の声と共に咲き始めるので、オーちゃん的にはいつも『秋の花』と言う認識で詠んできましたのでこのようになった次第です・・!♪ ところでこの『タカサゴ』という前半名は、あの目出度い『高砂』とは関係が無く『台湾』を意味しているのだそうです・・!(かく言うオーちゃんも、『翁・媼』っと書きましたが・・!♪) 沖縄に伝わったこのお花は、沖縄の方言で『タカサング(台湾のこと!)の花』っと呼ばれていたことがもとで『高砂ユリ!』っと呼ばれるようになったそうです・・!

    2018年08月15日20時27分

    yoshi.s

    yoshi.s

    さすがオーちゃん!さん、きちんと背景がありますね。 髙砂百合は台湾原産百合、高砂は台湾のこととはかねて承知しています。 しかし和歌は掛詞の世界。作るも技。聞き取るも技。 私の意図は、謡の髙砂に掛けて、娘の結婚を祝ったものです。それで祝い百合としました。 従って、オーちゃん!さんの秋の来る向きを、飽きの来る向きとせず、飽きの来ないように、秋来ぬやうに、としたわけです。 季語については、髙砂百合も百合と解釈すれば夏に入れてもよいでしょう。 ガッテンして頂けましたでしょうか。

    2018年08月15日21時20分

    オーちゃん!

    オーちゃん!

    なるほど~!! オーちゃんの聞く技が、欠けておりましたね~・・! しばらくはお祝いムードが続くことを、肝に銘じておきます・・!♪ 一つだけ気になる点を言えば(オーちゃん自身も良く陥ってしまう点なのですが・・!)、背景を知っている方や写真を見ている方には問題の無い素晴らしい句も、その二つを取り去って俳句だけを読み解こうとした場合、突然句の意図が通じない詩を作ってしまうことが多々あります・・! 写真句で良くある落とし穴なのですが・・! そこでオーちゃんは、作ってからもう一度写真を隠し去り、句だけを復唱して句の意味が万人に分かるかどうかを見直す努力を忘れないようにしています・・!

    2018年08月15日22時24分

    yoshi.s

    yoshi.s

    オーちゃん!さん それは私も考えました。 本来俳句はその句だけで鑑賞するものです。私の師匠も、説明を要するようなものは句にならんと言っていました。私も俳句だけで成立するように心がけてはいます。しかし、あえて写真句と言うジャンルを設けたからには、写真と句が両方あって初めて成立するものであってもいいのではないか、とも考えます。 もちろん写真は写真だけで成立し、句は句だけで成立するものを、合わせてさらに表現を広げ深めようとするもよし、しかしまた、写真と句は互いに補完関係にあって初めて成立するというものでもよし、としたいのです。そういうものを写真句と呼びたいのです。  また、表現には、だれにでも分かりやすいものもあれば、事情を知らなければ分かりにくいプライベートな表現や、かなりの知識を持たなければ理解しにくい表現もあります。極端なことを言えば、自分だけが分かればよい、といった表現もあるでしょう。鑑賞者がそこに分け入ろうとするか否かは鑑賞者の自由です。つまり表現者も鑑賞者も自由なのです。表現にしても鑑賞にしても、シンプルなものもあれば技術を要するものもあるでしょう。芭蕉の蛙の一句で本が一冊できてしまうぐらいですから。 意味の通じない句に出会った時に、この句の意味は何か、という問を発して背景を調べ、初めて理解できるという句があってもよいとすら思います。何だこれは、分からんと捨ててしまってももちろん鑑賞者の自由です。ただ、表現者が、鑑賞者に読んでもらいたい、見てもらいたい、分かってもらいたいと思うならば、分かりやすいことは重要ですよね。

    2018年08月16日01時30分

    オーちゃん!

    オーちゃん!

    yoshi.sさん! もちろん言われる通り、作者の自由な考えで良いと思います・・! だから読み飛ばさずに、楽しんで見せて頂いているのですよ・・! ただオーちゃん自身は日頃より、独り立ちできる写真・句というものを心がけていると言うだけです・・! オーちゃんのこれまでの作品にも、中にはそのような形が崩れているものもあるかもしれませんが、もう一度読み直して頂ければ努力のあとも見え隠れしていて、また別の面白さがあるのではないかと思います・・! 文学がお好きな方が、同じ作者の同じ作品を何度も読み直すことで、また新しい発見が生まれるのと同じですね・・!♪ 今回なぜこんな風にこだわったことを記載したかと言いますと、yoshi.sさんの書かれた『詠むならこうでしょう。』っというお言葉があったんで、オーちゃんがなにか間違った句を作ってしまったのかな・・?・・っと一瞬感じてしまったからでした・・!♪ どうかお気になさらずに読み飛ばしてくださいませ・・!♪

    2018年08月16日05時49分

    yoshi.s

    yoshi.s

    オーちゃん!さん ああ、そうでしたか。 考えてみれば、「詠むならこうでしょう」はきつい言い方でしたね。 私としては、例の林修の「いつやるの? いまでしょ!」のノリで言ったのですが、オーちゃん!さんとしては、とがめられたように感じたのですね。ごめんなさい。 上のコメントにもお気をお遣い下さりありがとうございます。 表面だけの挨拶になりがちなコメント欄でのやり取りですが、こうして嫌なことでも多少なりとも心を割って話す相手ができたことを嬉しく思っています。オーちゃん!さん、これからもよろしく。 なお、私事である祝い事を引きずるつもりはなかったのですが、たまたま題材が髙砂百合だったものですから、つい。

    2018年08月16日10時29分

    旅鈴

    旅鈴

    オー様とyoshi.s様のやりとり、失礼ながら拝見させていただきました。 俳句について造詣の深いお二方の対話は、とても参考になり、考えさせられます。 こういう風に心を開いておしゃべりができると、単なる写友でなく、もう親友(心友、信友、真友)ですね。

    2018年08月17日01時04分

    旅鈴

    旅鈴

    もうひとつ、「深友」なんてありですか。

    2018年08月17日14時34分

    yoshi.s

    yoshi.s

    旅鈴さん 気を遣って下さりありがとうございます。 まだ親友には遠いでしょう。互いの違いを確認し合っている段階です。 ね、オーちゃん!さん。

    2018年08月17日22時23分

    旅鈴

    旅鈴

    親友には遠いって、ちょっとさびしいです。 友達の友達は友達だ、が私のモットーなので。 でも慎重にいくのも人それぞれで、ありかな、と思いますが。 オー様は私とちょっと似たところがあると思います。 人とすぐ友達になるところ。

    2018年08月18日15時41分

    yoshi.s

    yoshi.s

    旅鈴さん これからですよ。 まず友だちになって、それからです。 親友というのは兄弟に匹敵します。時には兄弟以上の存在です。 兄弟は黙っていても兄弟ですが、親友になるには努力が要ります。 まず良く知り合わなければなりません。そして気が合うかどうか。さらに互いの違いを認め合えるかどうか。自分と違っていても、尊重する姿勢を持てるか。 心を開き、腹を割って話すことができるか。 そうして初めて好きになれます。 やがて互いに信頼できるようになれば、親友になる条件が整ったということです。 ネット上でも可能だと思います。交流の中で人柄が見えて来ますから。 私はこの齢まで生きましたが、親友と呼べる友は数人です。しかしそれはかけがえのない友です。

    2018年08月18日23時26分

    旅鈴

    旅鈴

    わかりました。 心を開き、腹を割って話すことが出来る友人、 それには自分も心を開かなければ、ね。 私が日本に居づらかったのは、私の性格があったと思います。 思ったことをすぐ口にだしてしまう、社交辞令が嫌い、嫌なことは嫌と言う、 天真爛漫とか言われたけど、単純なだけです。 私にも生涯の友がいます。 お互いに環境はちがっても、心が通じていると感じます。 私が遠い異国にいても孤独を感じないのは、勿論家族がいるからですが、 故郷に友人がいるということも大きな理由です。こころの故里(よりどころ?)です。 勿論,この地にも友人はいますが、故郷の友人は別です。 私が彼らを忘れないように、彼らも私のことを思い出してくれています。 ありがたいことです。 ただ、近年寄る年波で、お互い、あちこち体の故障が起こっています。 はたまた配偶者の病気とか、死別とか。 もう一度みんなに会いたいなあ、とつくづく思います。

    2018年08月19日06時25分

    yoshi.s

    yoshi.s

    旅鈴さん 心を開くことは大切なことです。しかしそれは危険なことでもあります。少しずつ安全を確かめ合うことが必要ですね。その橋渡しをする方法が礼儀です。 と言っても、いつまでも折り目正し過ぎると堅っ苦しいし、そうかと言って礼を欠くと相手を不快にさせることもあります。その度合いは人によって違うので、少しずつチューニングをして行く。おそらく人はそうやって互いに近づいて行くのでしょうね。その中で本当に気の合う人ができたとき、親友になり、恋人になり、夫婦になったりするのでしょう。 そんな友を持つことができたら人生の幸せです。

    2018年08月20日12時47分

    旅鈴

    旅鈴

    そうですね。 心を開くことが危険というのは、わかります。 親しい時、打ち解けて、何でも話していたのに、 疎遠になったら、話したことを後悔した経験があります。 でも又同じことをしてしまう。 そんなことの繰り返しです。

    2018年08月20日13時34分

    yoshi.s

    yoshi.s

    旅鈴さんは、こうして弱いところも見せてくれる。つまり私に少し心を開いてくれているということです。大丈夫、私は旅鈴さんを傷つけません。大事な人ですから。

    2018年08月20日15時35分

    旅鈴

    旅鈴

    私の中ではyoshi.s様はもう何年来の友人の感じですよ。 一年ちょっとでなく、ずっと知っているような感じ。 心おきなく話せる、というか、勝手に親しんで甘えているだけかも知れませんが。 いずれにせよ、これからも末永くお付き合いをお願いしますね。

    2018年08月21日00時38分

    yoshi.s

    yoshi.s

    旅鈴さん 私も同様です。 こちらこそよろしく。

    2018年08月21日19時46分

    新規登録ログインしてコメントを書き込む

    同じタグが設定されたyoshi.sさんの作品

    • 写真エッセイ:アメリカ見たまま記13:朝日の中
    • 写真句:花の森のてふてふ2
    • カユガ湖の朝
    • 写真指編:Red in Yellow
    • 写真句:夕焼けビーチ
    • 写真句:春告草

    最近お気に入り登録したユーザー

    写真を削除しようとしています。

    本当に写真を削除しますか?

    こちらのレビューを他のユーザーに公開します。

    レビューを公開しますか?
    講評の公開設定については必ずこちらをお読みください。

    コメントを削除しようとしています。

    選択したコメントを削除しますか?

    エラーが発生しました

    エラー内容

    PAGE TOP