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街の中心部。 サンタ・マリア・デル・フィオーレ。花の聖母マリア教会と訳される。 フィレンツェは羊毛(ウール)業で栄えた街で、羊毛業組合がいわば街のスポンサーであった。後日、メジチ家が銀行家として財をなしてローマ教皇庁と結び、フィレンツェの実質的な支配者となった。 フィレンツェがルネサンスの中心地となったのは、この羊毛業組合とメジチ家がフィレンツェの芸術家たちをサポートしたからであった。
想空さん 市内中心部の建物の形状変更は、法律によってほとんど不可能だそうです。 ですからいまも市民は、ルネサンス時代の石造りの建物に住んでいます。 内装は、どの家でも近代化しているようです。 次掲も同じ建物です。タイトルの名の教会です。
2018年07月23日10時10分
ジョニー森永さん 教会も、よくここまで登らせますね。 やはり、共和国たるフィレンツェが、市民(国民)のために作ったからでしょうね。 さすが筋金入りの共和国、伝統は容易に崩れないですね。
2018年07月25日13時31分
ninjin
このアングルからの映像いいですね。 僭主政治の始まり、産業を起し富を蓄積し その富で金融を牛耳る・・・ 今の国際資本の源流でしょうか? しかしこのメジチ家がなければルネサンス の花は咲かなかったのでしょうね。
2018年07月22日20時17分