yoshi.s ファン登録
J
B
一番古い記憶はいつの頃だろう、この桜の記憶は。 ここはまだ公園になっていなかった。 もちろんシーソーも滑り台もなかった。 ぼくたちは、ただの空き地だったこの桜の下を飛び跳ねていた。 その頃この桜はそれほど大きくなかったはずだが、でも大きな桜のように思っていた。ぼくたちが小さかったからだな。 ビー玉をやった。 メンコもやった。 時には女の子たちとダルマさんがころんだもやった。この桜の木に顔を伏せて。 さくらちゃんが、「ころんだっ!」って言って、こちらに顔を向けたときは可愛かったな。*下に続く
いいですね、公園にまつわる思い出。 特にさくらちゃん、こーじ君が引っ越して行ったのが、 炭鉱労働者の子だったから、という件、説得力がありますね。 私の田舎では転校生は珍しかったけど、ある日、製材所に 新しい所長さん家族がやってきて、娘が私たちのクラスにきました。 標準語を使う子で、その子が来てから先生が、 「これからは標準語で読もう」と言い出して、 慣れない標準語に苦労しましたよ。 だって四国は関西弁だから、アクセントがちがうでしょう。 それも今は思い出です。
2018年05月11日04時48分
旅鈴さん 面白いですね。 先生も迷っていたのですね、方言か標準語か。 分かる気がします。 私も大学に行ってから、ずいぶんと言葉を気にしました。 しかし今となっては、子どもたちから消えつつある方言が愛おしく思えるのです。
2018年05月12日17時06分
yoshi.s
*つづき そうだ、想い出した。 あの時、帰りがけにさくらちゃんのほっぺたに、ちゅーをしたんだった。 さくらちゃんはうれしそうだったな。 もちろん、ぼくだって。 紙芝居だって来たんだ。この小さな空き地に。 こーじ君は、・・漢字は憶えていない・・、水飴を買えない時があった。 「かね、ねーもん」って言った。 ぼくが半分分けてあげようとしたら、「いらねえ。水飴きらいなんだ」って言った。そして紙芝居だけ見て帰った。 でもまた紙芝居のおっちゃんが来たとき、こんどはうれしそうに水飴買っていた。 こーじ君はケンカが強かった。 ぼくが、だれだったか忘れたけれど、二人がかりにやられていた時、「おい、やめろ、やめろ。やめねーと、おれがやるぞ」って言って助けてくれた。 相手は二人だったのに、こーじ君がそう言うと逃げて行ったんだ。 それからこーじ君とぼくはこの桜の木の下に坐って、なにか長い間話しをしていたなあ。 何を話したかは憶えていない。 でも、桜の花びらが散っていたのと、木の影が長く伸びていたのは憶えている。 さくらちゃんも、こーじ君も、一体どうなったんだろう。 あの子たちは炭坑労働者の子だったから、さくらちゃんはたしか3年生になる前に、こーじ君は中学生になる前に引っ越して行っちゃった。それから会っていない。 ふたりとも、一体どんな人生を送っているんだろう。 このままこの桜の木の下に坐っていたら、「おーい」って、現れるような、そんな気もする。
2018年05月10日10時08分