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夕照や影踏みし友いまは無く
光る電線、いいですね。電話線ですか。 景色を撮るとき、邪魔になる存在ですが、ここでは効果的です。 日本のどこの町にもあるような風景(というか、私の故郷によく似ています)。 故郷を思い出して、一部事実に基づく創作を試みます。 この写真は僕の故郷を思い出させるなあ。 西の山並みにはテレビ受信の鉄塔が立っていた。 あの頃はNHKとローカル放送の二つしか映らなかったっけ。 こんもり木が茂った山の中腹には真言宗のお寺があって、山の上には墓地があった。 山の下には中学校があって、体育の時間、山の上まで階段を駆け上がらされたものだった。 人数が多い世代だったから、近所には同級生が多かった。 僕たちは学校から帰ったら、お寺の庭で遊んだものだった。 かくれんぼや缶けり、縄跳び、男の子も女の子も一緒になって遊んでたよ。 あじさいが咲いたり、公孫樹が黄色くなったり、あれはでも銀杏が成らなかったなあ。 隣町のお寺の公孫樹は銀杏が成って、よく拾いに行ったっけ。 墓地への階段からは海が見えたっけ。 お寺はその後、幼稚園を経営し始めた。 近所の同級生も中学を卒業すると進路が分かれ、僕は隣町の水産高校へ行った。 卒業して三崎の水産会社へ就職した。 本当は船に乗りたかったんだけど、母が反対したんだ。 五年ごとに開かれる中学の同窓会には今まで一回も出てなかったけど、 今回参加したのは、雄二が亡くなったと聞いたからなんだ。 腎臓が悪く、人工透析を受けていたって、ちっとも知らなかったよ。 幹事をしている靖が、「おれたちも還暦を過ぎたから、いつどうなるかわからない。 毎年同窓会をしようよ。参加出来る者だけでいい、今年来られなきゃ来年でもいい。 いいか、同級生は増えはしないんだ、減っていくんだよ」 と言った言葉が印象的で、心を惹かれたんだ。 何十年かぶりで訪れた故郷は、すっかり変わっていた。 美智子の家は息子の代になって、家を新築していた。 勝也の家は空き家になって取り壊され、更地になって、今は駐車場になっていた。 皆今は他所にそれぞれの居場所があるからだけど、故郷の姿が変わるのは心が痛くなった。 僕の家は兄が店を継いでいる。親の居なくなった家は、もう昔の家庭じゃない。 でもやっぱりここは僕の故郷なんだ、この景色がある限り、僕はまた思い出の中に帰れる。 雄二の墓は山の上でなく、家の庭だとか。そういえば、両親の墓も山の上でなく、 家の近くの畑の中に建てられている。あの山の上の墓地にはもう誰も行かないのだろうか。 暮れ行く町を見下ろしていた僕は、どこかから漂ってくる梅の香りに気がついた。
2018年03月21日07時59分
うん。ノスタルジー溢れる掌編小説。 同様に田舎で育った私にはよく分かります。 実家とは父母であり、故郷とは遊び育った山、川、田畑、小道なのですよね。 同級生も、少しずつ減って行く年齢になりました。 ♪花は花は花は咲く。私は何を残しただろう・・♪、というフレーズが心に迫ります。
2018年03月21日23時05分
mi姉様、 こうした夕暮れ時、こんな景色、たれか故郷を想わざる、ですよ。 皆どうしているかなあ、今度いつ会えるかなあ、 会いたいなあ、帰りたいなあ、、、 秋でもないのに、少々感傷的になりました。 故郷があってよかったと思います。 東京の人にも、東京が故郷です。故郷の無い人は居ません。 ただ、故郷の思い出のあり方が田舎とは違うだけなのですよね。 本当に大事な宝物です。
2018年03月23日02時23分
旅鈴さんの望郷の想いというのは、私などのそれとは格段に異なるものなのでしょうね。 先の掌編にはその辺がよく表れていました。 想い出をこのようにして文章にすれば、後の人たちが書いた人を想像するよすがになります。 これからもぜひ書いて下さい。
2018年03月23日23時26分
yoshi.s
いつまでたっても青二才さん 早速のご高評、嬉しく頂戴致しました。
2018年03月20日23時59分