苦楽利 ファン登録
J
B
何気なく歳時記ひいてみたら 被爆の壁赤し蝉がら吹きすがる 多田裕計 という句を見つけました。私は俳句は「第二芸術」という認識を捨てられないのですが こんな句もあるんですね。
仁志さん、コメントありがとうございました。 桑原武夫が俳句、短歌に見た「前近代的」なものを、俳句に対してどうしても感じてしまいます。 短歌は、「第二芸術論」に向き合って、俵万智や穂村弘のような口語短歌を生み出したと思います。 一方、俳句は、季語絶対主義がいっそう強まって、俳句を勉強したものでなければ理解できないような世界に行っているような気がして、そこが違うのではないかという想いが消えません。俳句を鑑賞するのにいちいち歳時記を引いて、本意を確かめてなんていうのは本末転倒だと思います。 「芸術とは」という定義は、わかりません。写真表現は芸術か、少なくも私の写真は芸術ではありません。
2017年08月10日17時39分
芸術をもっと広義に 表現者あるいは表現物と、鑑賞者が相互に作用し合うことなどで、精神的・感覚的な変動を得ようとする活動 とすれば、いかがでしょう。 苦楽利さんも私も芸術活動をということになりませんか? 確かに俳句の世界の季語は邪魔です。 わたしもタイトルに俳句らしき575を利用します。 季語は意識しないようにしています。 他のみなさんのご意見も聞いてみたいですね~
2017年08月10日19時35分
仁志さん、コメントありがとうございました。芸術の定義、しかと記憶しました。簡潔ですばらしい定義だと思います。 写真の次の趣味としてカルチャーセンターで短歌か俳句どちらを習おうかと、図書館から入門書を借りてきては読んでいたら、やたら理屈ばかりが先に立つようになってしまいました。今週借りてきた本は、「金子兜太の世界」。少し俳句感が変わりそうな予感があります。まだまだ勉強途中なのに、生意気なことを書いてしまったなと反省しきり。
2017年08月11日17時23分
オーちゃんは、むつかしい理論はぬきにして、無手勝流で楽しむのみですから、お二人の白熱した会話を目にし恥ずかしい限りです・・! しかしこれからも、ただオーちゃん流を通すのみと思います・・♪・・無の境地で~・・♪ 『空蝉や 甲冑脱ぎて 経の日々』
2017年10月15日09時35分
オーちゃん!さん、コメントありがとうございました。 仁志さんも私も長野県人なので、つい理屈が先に立ってしまいます。 オーちゃん!さんのように自在に句を作れれば楽しいでしょうね。
2017年10月15日16時58分
Sr. にっしゃん
桑原武夫の論は組みしません。 では写真表現は? 芸術に第一、第二、第三・・・とレッテルを張るのは問題です。
2017年08月09日19時35分