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野茨に花虻。 のいばらに、はなあぶと読んで頂きたい。 最初からそう書けと大方のお叱りを受けそうではあるが、花の名前にでも、表記にはいささかこだわりがある。 漢字には一つひとつに意味があることは論を待たない。その漢字表記の出自を調べることで周辺の知識が得られる。それをやらない手はない。 ひらがなの魅力は、その形と音の響きである。もちろんカタカナでも同じ音ではあるが、字の形によって、発音する時の心持ちがずいぶんと違う。 *下につづく
面白いですね。 貴方のおっしゃっておられることに同意いたします。 貴兄ノ発言ニ同感ノ意ヲ表ス。 同じ意味でもひらがなとカタカナの使い方には 書き手、話し手の立場や思想が現れるものですね。 戦前の主権在君の時代、政府の公文書や法律の文章 は漢字カタカナ混じりでしたね。如何にも上からの お達しという形、それが戦後新憲法でひらがな混じりの 口語体になった。人々はそこに民主主義の顔を見た のでしょうね。 花の名もカタカナで書けば図鑑的、ひらがなで書けば 詩や歌が浮かんでくるように思えます。 それにしても花虻くんの可愛らしいこと・・・
2017年05月24日13時41分
michy様のご意見に賛成です。 おだまきも苧環という漢字があるのですものね、使えばよかった。 花に来る昆虫を捉えるのって、難しいですよね。 私も黄色い花に飛んできた熊ん蜂を撮ろうとしたのですが、うまく行きませんでした。 良いタイミングを捉えられるのも、才能のひとつだと思いますよ。 というか、忍耐力の成果というか。 私には忍耐力が足りないのです。
2017年05月27日02時03分
yoshi.s
*つづき カタカナの読みは明瞭である。しかし情緒に欠ける。ひらがなには柔らかさがあり、心に入る。しかし合理性には欠ける。 乱暴を承知で言えば、カタカナは数学的であり、それ以上でも以下でもない。アルファベットに近い感じがする。 一方、ひらがなは芸術的であり広がりがある。曖昧とした心象までをも表現できるような気がする。 同じ意味、同じ発音なのに、文字によって精神に与える影響がこれほど違うとするならば、その使い方には慎重にならざるを得ない。 現在、花の名前にはカタカナを使用するのが一般的であるようだが、以上の理由により、私は漢字とひらがなを使うのである。 *我田引水のきらいがあることは承知しています。エッセイですのでお赦し下さい。
2017年05月24日11時32分