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禅では枯木を無心とする。 夏には青々とした楓も、葉の落ちた冬には無惨にも見える。 ところがどうだ、街路灯に照らされたこの枯れ木は。まるで無心の禅僧が屹立するかのようである。 このような托鉢僧が表に立っていれば、思わずともなにがしかの喜捨をしたくなる。 盛りだけが花ではない。 古人曰く、枯木花開く、と。
昔聴いたある写真家の言葉を思い出しました。 『みんな春の盛りに桜を撮るが、あれは本当の 桜の姿ではない。花を落とした葉桜、夏の盛り 暑さに耐える桜、他に先駆けて紅に染まる秋の 桜、寒風に耐えながら微な花芽を見せる冬桜 どの桜も愛おしい、だから私は十二ヶ月桜を撮る。』
2017年03月18日15時20分
ninjinさん その写真家の考えに賛同します。 写真は、対象物と自分の目との相互作用、化学反応のようなものだと思います。 固定観念に囚われず、柔軟なものの見方ができるようになりたいものです。
2017年03月18日21時41分
今田三六
うーーむ! (凡人は花は夜開く)と浮かびました。修行が足りませんね…。
2017年03月17日14時58分