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『話さなくちゃ』ライナーノーツ

『話さなくちゃ』ライナーノーツ

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    B

    Carl Zeiss Jena Flektogon 35mm F2.8 M42

    コメント5件

    みそちゃん@PHOTO

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    『話さなくちゃ』  ライナーノーツによせて(代筆) 主人が余命三ヶ月の宣告を直接ドクターから聞いたとき。 私のお腹には7ヶ月の息子がいました。 主人はもし自分に何かあったら、 自分に直接告知して欲しいと、私に内緒でドクターに頼んでいたのです。 2001年のお正月あたりから体調の異変に気付き、 大きな病院にも通院しましたが、胃炎と診断され薬を飲んでも回復せず。 一ヶ月後、胃腸専門病院に変えるも、同じ胃炎の診断で回復せず。 もう一度、4月になって別の大きな病院に行こうよ!と彼を説得し、 その病院で、ドクターは旦那と私に 『じゃあ、2週間後にCTの予約いれときますね!』そう言った。 私は『冗談じゃないわ!この状況を2週間後にどうぞ!って。 いいから、今すぐにCT撮ってよ!』そうドクターに怒鳴りつけ喧嘩を売った。 ほどなく彼と私は診察室でレントゲンのフィルムを見せられ、 『ここに影があるからガンの疑いがあります。いますぐ検査入院してください。』 事務的な感じでそう言われた。 わたしは臨月も近い大きなお腹を抱えて、ひとりマンションに帰った。 とりあえず入院の支度をしなきゃ。 でも支度をする手は怖くて涙で震えてた。 その入院から10日後のこと。 彼から『急性膵炎だって。手術して一ヶ月すれば治るよ!』と告げられ。 わたしは毎日、元気にお見舞いに出かけた。 私の婦人科の診察も同じ病院だったから、婦人科と彼の病室を行ったり来たり。 わたしは一人マンションに帰っては、子供の名前の候補を考え続けてた。 そして、少し早めに里帰り出産の準備のため 退院した彼をマンションに残し、一人実家に帰り、 しばらくしてから彼と私はうちの実家で暮らすことに決めて 私たちは再び一緒に暮らせるようになった。 そして6月に息子が生まれた。 ちっちゃな体の目鼻立ちのしっかりした男の子で、旦那さんと待望の赤ちゃんとの生活。 すごく幸せな毎日だった。 それから一ヶ月後。 息子の一ヶ月検診を終えた夜のこと。 『なぁ、◯◯◯。これからの2人(3人?)のこととか考えなくちゃいけないね?』 そう彼が切り出した。 『転居ハガキとか書かなきゃってって話?』そう尋ねたら。 『ん・・・そうじゃなくてさ。』って感じで。私のすぐ横に座って。 『オレさー。ガンなんだよ。』って。 一瞬わたしは『は????』って。 何を言われてるのかわからなかった。どこか遠い国の話をしてるみたいで。 そして、これまでの経緯を彼は私に話してくれた。 実は急性膵炎は嘘で、4月の時点で末期の膵臓ガンで余命三ヶ月の宣告を受けていて もうすでにその三ヶ月のタイムリミットは過ぎていること。 周りの家族はみんな知っているけれど。彼の意向でわたしにはしばらく伏せていたこと。 わたしが真実を知ってしまったら母子の命の保証が危うくなるから せめて息子の一ヶ月検診までは真実を隠していたかったこと。 それでも息子の誕生と彼の命が入れ違いになるのを恐れて 家族(両親や妹)が、そろそろ真実を告げないとまずいよ、と心配してること。 彼が自分の命を削ってまで、守ろうとしてくれた私と息子の命。 自分が一番苦しいときに、 一番相談したい人にも話せずに体と心の痛みをひとりで背負ってくれた人。 その尊い彼の行為を、私は無駄になんてしちゃいけない・・・って。 彼がついてくれた優しい嘘のおかげで、いまの私と息子がいるのだから。 その時の想いを書いてくれた曲が『話さなくちゃ』です。 その年の12月にバンド仲間がこの曲もレコーディングをしてくれました。 ただ、その時は1番の歌詞しか出来ていなくて、 一番の歌詞を2回繰り返して録音されました。 そのあと、亡くなる直前まで2番の歌詞を病院のベットで書いていた彼。 もう残された時間がないんだ・・・と必死に書いた2番の歌詞です。 メロディーを伝えられないのが残念だけど。 12月19日。2人の入籍記念日を病院で迎える。 なんとかこの日までは生きていようと思ったと彼。 12月24日。ほんの少しだけ会話が出来た。 12月25日。もう会話もない。 12月26日の早朝。彼のもうひとつの新しい誕生日になった。(Pico 享年48歳) これからの私と息子の未来のために。 必死で25日を超えたんだね。 悲しいクリスマスを毎年送ることにならないように・・・。 愛することの大切さを教えてくれた、私の大好きな旦那さんのお話でした(*^_^*)

    2016年01月27日20時47分

    akiramix*

    akiramix*

    旦那さんは…みそちゃんと息子さんを めちゃ愛していたんだって伝わって来ましたぁ。。 五線紙からパワーを感じるよ。

    2016年01月27日21時27分

    みそちゃん@PHOTO

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    akiramixさんへ みんなコメントしづらいんだろうな・・・と察する中、 akiramixさん、コメントありがとう(*^o^*) 長年、旦那との『いつか僕の夢物語を書いてください。』の約束を果たせずにいたけど なんとか書き終えることができて、よかったなって思っています。 自己満足な世界かもしれないし。 こういうのをサイトに投稿するのを嫌がる人もいるでしょう。 ただ、わたしには私にしか書けない真実のストーリーがあって そのリアルな話から何かを感じて、明日の糧にしてくれたらいいなと思っています。

    2016年01月27日21時36分

    みそちゃん@PHOTO

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    長文にもかかわらず、読んでくれたみなさんにもありがとう! みなさんが、毎日幸せでありますように願っています(*^o^*)

    2016年01月27日21時37分

    みそちゃん@PHOTO

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    ぷちまるさんへ 旦那は末期ガンで、不慮の交通事故や天災や震災ではないのに・・・ なぜ、旦那が亡くなり、私が遺される側だったのか? なぜ、その逆ではいけなかったのか? なぜ、よりにもよって、私と生後6ヶ月の息子が遺されることになっちゃったのか? なぜ、他のおうちには子供とパパの遊ぶ光景が見られるのに、私にはないのか? なぜ、私はいつも息子の写真を撮ってるけど。私と息子の何気ない親子の写真はないのか? だってカメラマンはいつも私。息子との撮影はカメラを置いてタイマーセットで撮るだけ。 なぜ?なぜ?なぜ??? ずっとわたしの中には『なぜ?』で溢れかえっていました。 そして、いま、旦那の歳に追いつき、わたしも48歳になりました。 だって彼と同級生になる日がくるなんて、思いもしなかったもの。 33歳での出産は、年齢的には大人のはずでしたが、 当時のわたしは子供が子供を産んだようなくらい 旦那に頼りっぱなしの子供のようでした。 でも、どうやら今でも子供っぽい性格のままで、 いまでは息子に『お母さんは天然すぎる!』と叱られてしまいます(笑) なんだぁ、変わらないね ;^_^A ずっと疑問だった、 なぜ私はいま生きているのか? なぜ私はいま生かされているのか? でも、もうその答えを無理に探すのはやめようと思っています。 だって、その答えが見つかったときは私も天国に旅立つときだから。 もう少し長く生きていたいです。 息子の成長を見届けたいから。 自分ももっと楽しみたいから。 だから、ぷちまるさんへ。 うまく言えないけど、今を生きよう!明日じゃなくて、いまを生きよう! いまの続きが明日だけど。いまの繰り返して明日につなげよう! いまを楽しもうね(*^o^*)

    2016年01月28日23時14分

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