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#タイトルと写真はあまり関係ありません# 名横綱、北の海が亡くなった。特に好きだったわけでもなく、どちらかというと負けるところを見たかったのだが、そんなの無関係に勝つ。その度に諦めと清々しさを感じたような気がする。有名な人が亡くなると直接だったり映像の記録を通して、人の記憶には残り続けるが、本人は死んでいるのだから感情すらあり得ない。無・・・
親戚の遺品を整理した人が沢山のカメラ譲ってくれたのですが、 最後はゴミになるのに何のために撮るのかと言ってました。 答えはありませんが、生きている間の楽しみと思って撮り続けます(^▽^)
2015年11月21日12時39分
seysさん、コメント頂き、ありがとうございます。異論は多々ありましょうが、本当に強いものはどうあるべきかを、自らの生き方で示した力士だったと思います。この精神を引き継いだ日本人横綱の登場を願っているのですが、なかなかねぇ。
2015年11月23日16時32分
Forest.Note.
どうせ「無」になるからといって人間は何もしないのかというと、ほとんど例外なく動き続けて何か残そうとする。自分が死んだ後に残ったものがどうなるか知る由もないのに。 翻って写真。 紙焼きの時代はいざ知らず、公開されないBITの情報は誰にも知られず記憶装置の中に眠り続け、死んでも残り続け、それでも永遠ではなくいつか誰からも忘れられてしまうんだろう。 何のために写真を撮るのか、ちょっと迷走中のワタクシです。
2015年11月21日00時03分