一息 ファン登録
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莫愁湖の悲しい言い伝えは、梁武帝が編纂しました「河中之水歌」に収められているそうです。 「その昔(479-502年頃)、洛陽に名前を莫愁と言う女の子がいました。大変貧しい家に生まれたものの、とても聡明で、美しく、善良で勇敢な女の子でした。15歳の時、父が亡くなり、生活のため売られる身となり、南京の富豪が洛陽で見かけた聡明な莫愁を息子の嫁にと買いとったそうです。 その後、莫愁は男の子を生み、一時の幸せな生活を送っていました。ところが、北方で戦乱が発生し、莫愁の夫は征伐のため出征してしまいました。
一息
夫が不在の間も、莫愁は家事に精を出し、また近所の人々で困っている人や貧しい人を見かけると助け、何時しか皆からとても愛される存在になりました。ところが、舅は莫愁のその様な行為を良しとせず、ある日莫愁を辱めてしまいました。莫愁はとても悲嘆にくれ、ついに石を抱いてこの湖に飛び込んでしまいました。元々、この湖は石城湖と言っていましたが、莫愁を慕い偲んでいつしか莫愁湖と改められたそうです。
2015年09月11日20時51分