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戦無派世代の私も、この歌詞がシベリアに抑留された日本兵の間で歌われた『異国の丘』の歌い出しであることはかろうじて知っています。 昔、『異国の丘』の作曲家で後の日本歌謡界の大御所、吉田正先生とは、吉永小百合さんと大蔵官僚との鼎談でご一緒したことがあります。 吉田先生はレコード大賞受賞曲『いつでも夢を』以来の愛弟子である吉永さんを気遣い、「(私より)小百合ちゃんの発言を優先してくださいね」とそっと耳打ちしてきたお人柄が忘れられません。
プーチンパパさん コメントありがとうございます(=^・^=) そうですね。私も若い頃は元予科練とか元中野学校の幹部が会社にいたものです。 さすがに軍歌を歌うことはなかったですが、接待した大学教授に銀座の軍隊酒場へ連れて行かれ、サービスで海軍士官の軍服を着せられて(今で言うコスプレですね)ポラロイド撮影されたのには閉口しました。 何が嫌だったと言って、顔からして軟弱だから全く軍服が似合わなかったんです(笑) 吉田先生は戦後歌謡界の父と言ってもいい方でした。 何度も奇跡的に死線を潜り抜けて生還した体験をしているだけに、私のような若造に対しても、とても紳士的な態度で接してくれました。 吉永さんが、大蔵省正面玄関から乗ったタクシーの吉田先生の姿が見えなくなるまで背筋を伸ばして見送っていたのが印象的でした。
2015年02月01日21時51分
プーチンパパ
社会人になってからはつきものの宴会で軍歌やこの歌をよく 聞かされました。戦前からの社員がまだ沢山いましたから、 アルコールが入ると合唱でした。まだカラオケがありません でしたから、アカペラで。 斉木孝雄、吉田正のコンビで、橋幸夫・吉永小百合でしたね。 フランク永井も吉田門下でファンでした。
2015年02月01日21時37分