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神の眼(http://photohito.com/photo/2984931/)が天井にある、セントルイス旧裁判所の内部。この宗教性を目にした瞬間、「ああ、これが『法治』か。ならば日本は確かに『人治』だ。」と理解した気がした。「『法』とは、理想的には、人外の視点-すなわち人間性を半ば無視・喪失した論理体型-から人間を裁くために作られたものであり、生臭な人間が同じく生臭な人間をどうにかするという曖昧さが同居してよいものではないのではないか。」と。
>ジョン・ドウさん コメントありがとうございます!あら、本職(?)の方だったんですね。私なぞは、法をほんの少しなりとも体系的に入れたのは高校の公民の授業くらい(それもまともに授業に参加していなかった不良生徒)でして、それこそ法を語るなんておこがましいのですが…(笑)。 「本来善とか悪なんてものは時代や社会背景によって変化する幻想に過ぎないものなので、感情論を廃したルールの制定と理詰めでだけで”ゲーム”のように展開させなければ必ず不公平・不条理が発生する。ただ論理展開の筋道は必ずしも1本ではないので、その筋道の選び方に、(良くも悪くも)人情を挟むことが出来る。」というのが法運用の基本なのではないかと理解しています。この、「感情論を廃したルールの体系」というのはただしく、「人間の生殺与奪を決定する超越的で絶対的な人外」で、それは啓示宗教の神的な観念とよく一致すると思うのです。
2013年12月31日06時30分
ジョン・ドウ
恥ずかしながら、法学部を出た私(自称:なんちゃって法学部)ですが、法を「人間性を無視・喪失した論理体型」などと考えたこともなかったですね~^^ 教養が広く、尚且つこのような「強い写真」が撮れるt.krause さん・・・凄いお方ですm(__)m
2013年12月30日16時11分