TR3 PG@
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さて、次なる撮影ポイントに行くためには庄川を渡らなくてはいけません。 江戸時代、加賀藩は山奥の五箇山を流刑地とし、庄川に橋を架ける事は許可していませんでした。 そのため、対岸に渡るときにはぶどうのつるで作った大綱を張り、それに取り付けた籠に乗って渡っていました。 五箇山には13ヶ所このような籠の渡しがあったそうです。 その一カ所がここ菅沼集落の近くにある「五箇山合掌の里」に再現されています。 しかし・・・めちゃめちゃ怖そうです・・・さぁ、さぁ・・・(^_^;
そうでしたか。確かに橋が通れないとなれば、正に陸の孤島。島流しならぬ、陸流しですね。(そんな言葉無いでしょうね(笑))怖くても生活がかかっていたならば、この渡しも使わざるを得ないでしょうね。アスレチックの好きな人には良いかもですね。(笑)素敵な情景有難うございます。
2013年07月07日11時59分
hattoさん stiさん hisaboさん コメントありがとうございます。 相変わらずのレスポンスで申し訳ありませんが、もう少しの間まとめてのレスとさせていただきます。 この日、豆腐を買いに気軽に行ったので、35mm単焦点レンズだけを付けて行きましたが、この場面ではしまった!と(^_^; 望遠が!! 実は、ここ菅沼には何度と来ていますが、まさか篭渡しがあったとは知りませんでした(^^;ゞ よくよく見ると。篭が!!! もっとも、かつてはアスレチックのような設備も兼ねていたようでしたが、今は人形を使ってのディスプレイとなっていました。 それにしても、話には聞いていた篭渡しですが、こうやってみると人の行き来を遮断する機能としては十分であっただろうと容易に想像されました。
2013年07月20日14時35分
TR3 PG@
この辺一帯は「五箇山合掌の里」という合掌造りのコテージが並び、キャンプもできる宿泊ゾーンとなっています。 菅沼集落とは歩行者用トンネルで結ばれており、ちょっとした穴場的存在です。 右端に見えるのが東海北陸道の橋で、左奥に五箇山ICがあり、比較的交通の便はいいです。 が、実際には世界遺産・白川郷&五箇山観光は白川郷に集中してしまっており、ここ富山県側の五箇山を通り過ぎる事が多いようです。 そのぶん、静かな山間の合掌集落の雰囲気は存分に味わえますけどね(^_-) さて、以前にも書いていますが、五箇山の方々の名誉のためにもう一言。 キャプションにも書きましたが、ここ五箇山は藩政時代に流刑地となっていました。 が、殺人、強盗類の罪人の流刑地ではなく、主に加賀藩に楯突いた政治犯などが流されたと言われています。 有名なのが加賀藩士で加賀騒動の中心人物といわれている大槻伝蔵です。
2013年07月07日10時56分