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18-105さんもアップされていた古い鉄道電話です。左手でレシーバを持ち、正面の”口”に向かって話す超レトロ電話。 左のモノクロ写真には、昭和の初期の住み込み女性駅長さんが、まさにこの電話と並んで写っています。(下に続く、、) 津軽鉄道 芦野公園駅
moto隊長様 小説「津軽」より。。。列車、駅、人、仕草、心、なんかとても心が揺れました。 時に刻まれた歴史というか、繋がりというか、朝からいいお話しで、 今日も元気に過ごせそうです。 ありがとうございました。
2013年01月24日07時07分
津軽鉄道シリーズ、レトロ感満点ですね! 少年時代の鉄道の旅を思い出します。 私、インフルでしばらくダウンしていましたが 体調も戻ってきたので、今週末あたりから復活 します。
2013年01月25日00時42分
モトリさん ありがとうございます。 雨の日も風の日も営々と日常を紡いできた津軽と駅の物語に惹かれました。 物語を伝えてくれるこの鉄道とこの駅舎、よくぞ残ったものだと感心しました。 取り壊しの危機もあったでしょうが、残そうとする地元の想いがあってのことだと思いました。
2013年01月25日00時50分
大徳寺さん こちらにもありがとうございます! 明治から昭和にかけて近代化への道を突き進んだわけですが、 その現場には、この女性駅長さんのように、強く誠実に生きた方がおられたのだと実感しました。
2013年01月25日00時53分
のえるが5656さん こんばんは~ お店に置いてあったアルバムにこの電話機を見つけた時は、ゾクッとしました。 残さなきゃいけないもの、伝えなければいけないものってあるんですね。 ああ、これがこの津軽という土地の魅力だったのか、、、ぜひ、お越しくださいませ。(津軽三味線もいいです♪)
2013年01月25日01時01分
キミノルさん こんばんは!ありがとうございます! この女性駅長さんが活躍されていた時代、誰かに何かを伝えることに、もっと真剣だったのではと思います。 この小さな電話機で、人と人が繋がっていたのだと感慨深く見つめました。 本当に、よくぞ現代まで残ったものです。スバラシっ!
2013年01月25日01時06分
たまはるとらさん こんばんは~、お元気で、、じゃないんですね。 私の職場でもインフルが猛威をふるっています。嫁もインフルで寝込んでいます。 私は津軽の雪原で雪まみれになったのに、なぜかピンピンしております。 お大事になさってください。
2013年01月25日01時08分
moto隊長
ただし電話といっても、東京や大阪への発信・通話は出来ませんでした。この電話の通信線は、線路端にならぶ電信柱に張られたか細い通信線にのみ繋がっているからです。 つまり、隣の駅とだけ通話ができる専用”糸”電話だったようです。(「駅舎」のママ談) 駅と駅を繋ぐ電信線は、列車の運行に欠かせないもので、この技術はやがて現在の電話として普及したようです。 電信線は単線区間での閉塞状況を隣駅に伝えるために必要で、回線の一部は通話に割り当てられたのでしょう。 写真の女性は、日本初の女性駅長さんです。駅に住み込んで、文字通り24時間、列車の運行を支えたのです。 電話機の左が待合室、右が駅長室、といいますか、つまり”居間”でした。
2013年01月24日05時31分