おおねここねこ ファン登録
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鎌倉のぼんぼり祭のときに、鶴岡八幡宮の舞殿で 行われていた、日本今様謌舞学会主催の、今様白拍子の 舞の中で、「静の舞」が舞われていました。
美しいです。 私も神宮で式を挙げましたので 巫女の踊りを見た事があります。 とても美しい音色と踊りとても感動しました。 トイカメラとソフト、とても素敵です。
2012年08月29日19時30分
舞姿美しいですね 戻られたおおねここねこさん ではお気に入りに入っていませんでしたので 私の写真は見ることが無くなるとと思いますが、影ながら応援さて頂きますね。
2012年08月29日20時34分
さよなら小津先生さま>お越しいただき有難うございます。 この日、静の舞いをするとは思わず、ラッキーでした。 顔をはっきりしたくないこともあって、ソフトにしてあります。 hattoさま>お越しいただき有難うございます。 改めて、この静の舞いの状況を調べてみましたが、今にも伝わるほど、 その舞いは素晴らしかったんでしょうね。 月影さま>お越しいただき有難うございます。 朱塗りの舞殿に、太刀を付けた白に赤袴の装束が、栄えて、その動きも、なかなか機敏で、 良かったですよ。 kometubuさま>お越しいただき有難うございます。 丁度写してる場所は、日が陰ってましたが兎に角暑くて大変でしたが、 踊りを撮っていたら、暑さを忘れるほど優雅でした。 sokajiiさま>お越しいただき有難うございます。 八幡宮本殿に登る階段の7段目あたりから望遠で狙えますが、この日は、明暗差が大きすぎて 上手く行かず、この場所からです。 Teddy yさま>お越しいただき有難うございます。 仰る通り、暑い時期なので、観客はそれほど多くは無いですが、みなさん熱心に見てられました。 女性の方が多い感じでしたね。 nyaoさま>お越しいただき有難うございます。 当時一流の白拍子の舞いですから、鎌倉の東国武士はその舞いの素晴らしさに 見惚れたんだと思います。 OSAMU-WAYさま>お越しいただき有難うございます。 後いくつか白拍子の舞いを見ましたが、矢張り平安貴族のもてはやした雅を感じることができましたが、 そこには、太刀を指しながら踊ると言う、厳しさも感じました。 m3sorakaiさま>お越しいただき有難うございます。 復帰いたしました。宜しくお願い致します。優雅な中にも、武士の要素が入っている感じもしますね。 当時の白拍子の地位がわかる感じがします。 シュウポンさま>お越しいただき有難うございます。 思い出されましたか。静の舞いは私も初めて見ましたが、実際頼朝の面前で舞った時の、優雅さと 厳しさ、哀しさはどれほどのものだったのか、想像してみました。 kittenishさま>お越しいただき有難うございます。 白拍子役の方々の衣装は、朱に白の狩衣ですから、この舞殿に栄えてとても美しかったです。この近くの場所で 800年以上前に、ドラマがあったと思うと、感慨深いものがあります。
2012年08月29日20時56分
静御前が義経を想い舞った当時にタイムスリップしたような 錯覚に陥ります。 「おおねここねこ」のお名前を久しぶりに見つけて とても嬉しかったです、 これからもよろしくお願いします。
2012年08月29日22時30分
りあすさま>お越しいただき有難うございます。 そうなんですね。その舞いは優雅で繊細で、時には強く鋭くだったのではないかと思います。 暑い日だったので、それほどは混雑していませんでしたよ。 よねまるさま>お越しいただき有難うございます。 こういうものは、一度は見て撮ってみたいと。暑い日でしたが、ぼんぼり祭りの灯りを灯すまで、 結構時間があったので待って見ましたが、その甲斐がありました。 aoitoriさま>お越しいただき有難うございます。 義経ゆかりと言うことで、そちらでも舞われるんですね。今でもずっと引継がれて、舞われているようですが、 実際、舞殿のそばで踊られたんだと思いながら見ましたが、感慨深いものがありました。 RO Takanoさま>お越しいただき有難うございます。 周りが朱で、狩衣の下の袴も朱なので、こんな色合いになってしまいましたが。撮影位置によっては、 背景に空が入るので、撮りにくい所です。 seraphimさま>お越しいただき有難うございます。 800年以上前の出来事を、想像しながら見て撮りましたが、周りに座って見ている、 当時の侍は、どんな気持ちで見ていたんだろうなどと、想像してしまいました。 Trevorさま>お越しいただき有難うございます。 4月の鎌倉祭りの時は凄い人出のようで、撮影位置を確保するのも大変なようです。 この時は舞い手は、公募されるみたいですが。 BUGSYさま>お越しいただき有難うございます。 顔は、はっきりと写したくないですね。ソフトでやったほうがいい感じがします。 見ていて、当時の静の心境はいかにと思うと、一寸哀しいですが。 yukiさま>お越しいただき有難うございます。 色々想像を巡らしてください。今NHK大河ドラマの終わりの方で、 義経ともに、静の登場があるかも知れませんね。 キムタ~コさま>お越しいただき有難うございます。 好みは分かれると思いますが、プライバシー上の問題もあるので、トイカメラ+ソフトでぼかしてあります。 平安貴族の歌合戦もあったりして、遊びの一端がうかがえる、舞台でした。 kakianさま>お越しいただき有難うございます。 ソフトとPENTAX独自の雅、そして柱、袴の朱が、尚その印象を強めている感じがします。太刀を身に着けて 踊る、と言うのが凄いと思いました。 hisaboさま>お越しいただき有難うございます。 いえいえ、WIKIPEDIAから引っ張ってきただけなので。鎌倉の旅の解説本には、 さらっと書いてあるだけですので。吾妻鏡は訳本を読もうかと思っています。 丹波屋さま>お越しいただき有難うございます。 この時は笛を吹いて、合わせて踊ってられたかと思います。緩急、柔らかさと鋭さ、優しさと強さ、 そして哀しさの混じった舞いだったですね。 メープルシロップさま>お越しいただき有難うございます。 この位置からでないと、背景が空で、舞い手が暗くなってしまいます。矢張り下見して、 場所も考えないといけないですね。 七色仮面さま>お越しいただき有難うございます。 実際、ずっと舞われてきたのかは分かりませんが、800年くらい前に、頼朝の命で、踊ったという 舞いなんですね。当時のことを思いめぐらしてしまいました。
2012年08月30日20時11分
aoitoriさま>お越しいただき有難うございます。 義経ゆかりの地、と言うことで、そちらでも舞われるんですね。舞殿の近くで、800年以上前に、実際舞われたと言うことを考えながら見ていましたが、感慨深いものがありました。
2012年08月30日20時13分
これはカメラ内で後掛けされてるんでしょうか。 今度自分でも試してみます。 静御前…今年の大河ドラマでも、そろそろ出てくる でしょうか。800年もの間、舞いつがれるというのは、 やはりすごいですね。
2012年08月30日22時36分
jaokissaさま>お越しいただき有難うございます。 仰る通りです。カメラ内で出来ることはやってしまおうという発想で、皆さん使われてる、…shopとか、 …laboのソフトを使わなくても、独自ので出来ると言うことでしょうか。こも表現を嫌がる人も 沢山いるとは思うのですが、個性と言うことで。機種も、10%にも満たないので、独自性が有って良いのでは。
2012年08月31日13時04分
おおねここねこ
吾妻鏡によれば、源義経の愛妾静御前は、文治2年(1186)、鎌倉に送られ、 その年の4月8日、鶴岡八幡宮の社前で、白拍子の舞を舞うよう 頼朝に命ぜられたが、その際静は 「しづやしづしづのおだまきくり返し昔を今によしもがな」 「吉野山峰の白雪ふみわけて入りし人の跡ぞ悲しき」と 義経を慕う歌を謡って、頼朝は激怒。妻の北条政子が、 「私が静御前と同じ立場であっても、あのように謡うでしょう」と 取りなして助けたとある。 吾妻鏡によれば、静の舞の場面を「誠にこれ社壇の壮観、 梁塵(りょうじん:)ほとんど動くべし(唄がうまいたとえ)、 上下みな興感を催す」と絶賛している。 此処鶴岡八幡宮では、毎年4月の鎌倉まつりの時に、静の舞が奉納され、 また、義経の腰越状のある満福寺でも、義経まつりの時に、奉納されています。
2012年08月29日05時32分