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ボケを写真の構成の中で重要視するのは日本人ならではだけれども、俺もその日本人なのでそれなりに考えるのである。 しかし写真家のほとんどが、レンズの特性やそのボケの味わいについて云々と語るなんて事はないわけである。 レンズにこだわる自分をときどき女々しいなぁと思う。
>ハコちゃん ボケが写真ではなく表現ではないというのは、非常に二元的でやはり欧米的な感性でしょうね。日本人はたとえば書道でも余白に美をみるし、水墨画などは余白をどう取るか、また琳派の絵師なども余白にかなり気を使っています。 写真の場合、余白ともいえるアウトフォーカスの部分にかなりレンズの素性が現れるし、やはり写真を構成する上では重要なモノを占めていると思います。この写真でもこのようにボケないのであれば撮る意味がないですから。それだけにおっしゃるようにボケの扱いは難しいですね。で、俺を含めた多くのど素人写真家はこのボケに酔うわけですよ^^ストリートスナップにはボケ何ぞ必要はないけど、こういったモノ撮りには非常にありがたい後光を感じる時があるのです♪ >ピローちゃん そうですね。ボケを撮りたいのか何を撮りたいのか分らなくなってきますね。特に俺はこの写真のように暗い所で写真を撮るのが好きなので、明るいレンズを好みますので、自然とボケボケな写真を撮ることが多いです。絞りのコントロールはM8を使うようになってから本当に考えることが多いですね。 はい、カメラやレンズは自己満足が一番ですよ^^
2012年03月10日23時59分
はい、でもその感覚を表現するさいに写真家の多くは白バックを使用して物撮りをして余白と被写体との関係を際立たせて作品にしている気がするのです。 ただ一枚印象に残っているボケ写真があって、それはラーキーのタッシェン25周年の「ARAKI」の最初の方にあった陽子さんが死ぬ前に花瓶に生けた花がバルコニーのテーブルの上で枯れてしまった所を撮った写真なのですが、 枯れた花は白バックで撮るラーキーが、そのショットだけは背景を含めてボケを使って表現していてとても印象的な一枚なのでした。
2012年03月11日00時15分
世界が認めたhako
写真家は何かを写して表現をするのが大切なので、何かが写らないボケは使わなれないですね。。。 文字を書かないで表現をする書道家が居ないように、 花を生けないで表現をする華道家が居ないように、 何かを写さないで表現をする写真家もまた居ないのだと思います。 アブストラクトな表現をする写真家でも、何かをハッキリ描写しながらも 何か分からないフレーミングで切り取って表現したりする形が多い気がします。 おそらくボケを使ってアブストラクトな自分の写真表現をしようとしても 他の誰かが撮ったボケ写真との違いが出せないので、ボケは扱いが難しく使われないのだと思います♪
2012年03月09日19時19分