しちてん はっき ファン登録
J
B
807年から開発が始まった吹屋銅山である。1681年から大規模な坑道が掘られ、最盛期は大正時代に三菱資本で開発がなされた。次第に粗鉱の品位が下がり昭和6年に休山したが、戦後になって再開し、ほそぼそと続いたが、昭和47年、ついに長い歴史に終止符を打った。一時は1200人もの従業員が働き、この地区の人口も3000人を超え、中心地として栄えたようである。笹畝坑道はそのなかでも初期の坑道で、昭和53年度吹屋ふるさと村整備事業として復元整備され,昭和54年11月から一般に公開している。坑道の復元延長は320m