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*前掲、線路だらけ、の続き。 向こうが東京方面。 多くの線路がここで終わっていることが分かるだろう。ここは石炭貨物車の待機駅だった。 もちろん当時は蒸気機関車だ。煙を上げながら走る汽車を祖父に連れられて見に来たことを、ワンポイントで憶えている。 ここから4km離れた小学校にまで、蒸気で鳴らすピー、ポーという警笛の音が風に乗って聞こえてきたことも記憶にある。 いま、最新鋭の特急ひたちがその古い線路に待機しているのを見ると、なんだか時の旅をしているような気がする。 そうか。人生は時の旅、なのだな。
頂雅さん 駅前の家。そうおっしゃっていましたね。 駅や電車の写真は、ことの他懐かしさがあるでしょう。 時の旅を楽しまれたようで、何よりです。 でも考えてみれば、たったこの今も、私たちは時を旅しているのですね。
2024年05月14日13時52分
yoshi.s様, >ここは石炭貨物車の待機駅だった。 私は小学生高学年より炭鉱町で過ごしました。ボタ山で日が暮れるまで遊び、本当はダメなのですが立坑櫓に登ったりしておりました。近くには何本も引き込み線のある貨物専用駅が何ヶ所かありました。yoshiさんの街の駅は現在も立派に役目を果たされておられるのですね。
2024年05月15日07時29分
Zacky01さん そうですよね。日本一の炭田の地ですものね。 私もボタ山で遊んだことがあります。 私の父は、石炭トロッコに乗って駅まで行き帰りし、隣町の高校(当時は中学校)に通ったことがあると言っていました。・・まったく、いつの時代の話をしているんだろう・・。
2024年05月15日16時24分
頂雅
時の旅 時の旅人。 実家が駅前でしたので私にも駅舎や電車の古い 記憶が幾つもあります。そして幼い私もその 中に居ます。 お写真拝見して暫し時の旅をさせて頂きました。 ありがとうございます。(*^^*)
2024年05月14日12時52分