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ま夜中だけど、日が新しくなったのでアップする。 朝になれば東京に出かける。 ちょっと早いが今日の分の投稿。 この浜は、今ではささきの浜と呼ばれるが、昔は手綱浜(たづな浜)と言われた。 この辺一帯が手綱の地だった。 奈良時代の官吏・歌人、高橋虫麻呂は、常陸国(茨城県)に派遣されていた頃、この手綱浜を和歌に詠んだ。この歌は万葉集に載せられているので、この浜を万葉の浜とも言い、この時私が歩いた道は、万葉の道と呼ばれる。 遠妻し高にありせば知らずとも 手綱の浜を尋ね来なまし *下に続く
手綱(たづな)の浜を尋(たづ)ね、写真を撮っている方がおられたならば、きっとyoshi.sさんなのでしょうね。 青い海と何処までも続く海岸線。妻を遠く都に置いてきた高橋虫麻呂さんの寂しさを感じました。
2024年01月14日00時19分
常磐線のいわき行き特急も日立を過ぎると、高萩に停車するものと磯原に停車するものとがあって、どういうことで思ったことがありましたが、交互のようですね。高萩と磯原とどちらが乗降客が多いのかな、などと思いながら駅のホームを眺めることが多かったのですが、高萩から先は、車窓も海岸が近くなって風光明媚になってきますね。古来、勿来が古歌に数々と歌われて歌枕の地ですが、常陸の手綱浜も和歌に歌われる景勝の地だったことがよくわかります。美しいですね(^^)。
2024年01月14日06時28分
yoshi.s
*上からの続き 意訳 妻を遠く都に置いてきた。私はいま高(多珂/常陸国北部)という所に居るが、そこを知らなくとも、手綱の浜と聞けば分かるから、尋ねてきて欲しいものだ。 手綱の浜は、風光明媚の浜辺として、つとに知られていた。 お分かりのように、手綱(たづな)の浜と尋(たづ)ね、を掛けている。 掛け言葉は、上等な歌詠みの技術だった。今でこそ駄洒落、などと言われはするが・・。
2024年01月12日01時09分