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岐阜県関ケ原町にある不破関は、古代東山道の関所の一つ。 ※ 写真は、不破の関があった場所で建物は無関係です。 天智天皇の後継者争いの中、大海人皇子(天武天皇)は吉野へ遁世したものの、美濃・尾張で拠点を築き、東国の出入口であるこの地を塞ぎます。これが壬申の乱での大きな勝因となったようです。 壬申の乱後、東海道の鈴鹿関、北陸道の愛発関とともに東山道に不破関が「三関(さんげん)」として整備されました。この三関を境に、関の東を関東、関の西を関西と呼ぶようになり、日本を東西に分ける境界となりました。