yoshi.s ファン登録
J
B
あじさいの記憶はいつも庭の隅 小(ち)さな流れのふちに咲く花 私の記憶の中のあじさいは、いつでも、どこかの片隅に咲く花だ。 私の生まれ育った田舎では、どの家にも小さな川が流れていた。 水道の無い時代、洗濯や食器洗いなどをするのに必要だったのだ。 幅半間ほどの小さな流れ。その縁(ふち)にひっそりと咲く花があじさいだった。 だからこの画のような、公園入り口の桜の木の下に私の背丈ほどにもなって堂々と鎮座するあじさいには、拍手を送りたい。よくやった、よく自らのステイタスをあげた、と。
キンボウさん 光景が目に浮かぶようです。 私の田舎では、もう田んぼをやる人もほとんどいなくなり、多くが藪になってしまっています。 昔のあの光景が懐かしい。
2023年07月11日20時10分
真理さん はは。山あいの田舎ならではのことです。 まず、田んぼのために水が必要。そして上記のように生活のためにも。 いきおい、川の近くに集落ができ、その川から水路を分けて、家々の庭を流れるようにしていたのです。 田舎のことですから、家や庭、畑等を兼ねた屋敷は、どの家でも一反歩(300坪)が普通でした。 都会とは、事情が違いますね。
2023年07月11日23時08分
はは、真理さん、都会と田舎の違いです。 なんでもある都会。憧れでした。 山と田畑と川以外には何もない田舎。もっとも、子どもの頃はそれで十分。遊び場には事欠きませんでしたよ。あの頃は仲間もたくさんいたからなあ。 東京の子たちはどうやって遊んでいたんだろう・・。
2023年07月12日23時40分
電動茄子
時節感アリマス
2023年07月10日19時44分