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まるで動く生き物のように壁を這う蔦。 植物も生き物ではあるが、まるで意思があるかのような這いぶりに目が惹きつけられ、足が止まった。 ここはいつも歩く陸橋の横壁。気が向いて途中から階段を降りてみたら、これに出会った。 冬に落ちた葉が新しく出る前の裸の蔓。コンクリートの壁をこんなに生命力豊かに這っているのには感心した。 少しずつ少しずつ、10年も20年も掛けてここまで成長してきたのだろう。 こんどは葉が出揃った頃に、また来てみよう。 願わくは、管理者がこの蔦を刈ってしまわないように・・。頼むよ。
オーちゃん!さん 壁を這う蔦。木を這い登る蔦。空き家を覆う蔦。 人間が手さえかけなければ蔦はどこにでも這って行くし、どこででも見られます。 しかし人間にも都合があるから、うまく折り合いをつけないとね。 私がここで見た蔦は、とりあえず迷惑にはなっていない。ただのコンクリート壁よりずっといい。アートですらある。 しかしそんなことよりも、私がある種の感動を覚えたのは、目の前の生命現象にです。動いていなくともそれを感じる。うねうねとした枝は、いのちが生きてきた軌跡そのものだ。 そんなことを頭で考えたのではなく、一瞬にしてそう感じた。触れるほど近くに寄って(実際、触れたけれども)感じられる、気、とでも言うようなものによって。 この蔦のいのちを、私のいのちが直接に感じた、ということに私は感動を覚えたのだろう、と思います。
2023年03月19日17時56分
ぶっちゃんさん 不気味に思うのは、このうねうねとした姿を、いのちの軌跡として感じるからだと思います。 通常、いのちはその時その時にしか見えない。動物も、植物も、もちろん人間も、そのときその時のいのち。 しかしこの蔦の姿からは、蔦の生きざま、蔦の生きてきた軌跡をまざまざと見るような気がします。 通常見えないものを見たとき、人はそれを不気味に感じがちです。 しかしそれを受け止めて、咀嚼すると、こんどは感動が生まれます。自分の中の何かに共鳴するのですね。自分にも見えない自分の中の何かに。 写真は、そんな目を作ってくれたように思います。
2023年03月19日17時57分
オーちゃん!
蔦は長い時間をかけて、大きなビルでも包み込んでしまう・・・! あの有名な甲子園球場を見れば、一目瞭然ですね・・・!♪
2023年03月19日00時35分