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虫麻呂の詠みし常陸の手綱浜 旅の海鵜の羽を休めり *高橋虫麻呂は奈良前期、1300年前の官吏であり歌人。 都である奈良を遠く離れて常陸の国に派遣された。 都にいる妻を思う歌が、万葉集に載っている。 遠妻し高にありせば知らずとも、手綱の浜の尋ねきなまし その手綱の浜が、ここである。 高とは、多珂、現在の多賀。茨城県北のことだ。 手綱は私の故郷、高萩のことである。 海鵜の休息地としても知られている。
Zacky01さん 虫麻呂は、官吏としての出張ですから、やがて都に帰れたようです。 こちふかば、の歌を残して都を出た道真は、失意のうちに太宰府で没しましたね。 妻に会いたいとの思いは、虫麻呂よりもはるかに切実なものだったでしょう。
2023年01月03日13時02分
yoshi.s様, ご返信ありがとうございます。無事京に帰られるましたか。良かったです。道真公の歌は、♪東風吹かば♪の歌にはじまり、みなとても切ないですね。
2023年01月03日18時12分
Zacky01さん 右大臣にまで上り詰めた道真は、政争により都落ち、いや落とされて、太宰府に。 京が恋しかったでしょうね。もちろん妻も縁者も。 とうとう帰ることはありませんでした。 まあ、それによって神に祭り上げられたのですが、本人は決して嬉しくはないでしょうね。ただ当時の天皇や政敵たちよりははるかに、名は残りました。 彼の悲運の境遇と和歌が、読む人の心に響いたのですね。今でも。 東風といえば道真。梅の花といえば道真。にほひといえば道真です。 あるじなしとて、のところはとくに胸に迫ります。 やはり和歌は、生き様を詠むものですねえ。 反省頻りです。
2023年01月06日19時55分
Zacky01
>都にいる妻を思う歌が、万葉集に載っている。 yoshi.sさんの故郷が歌われておりましたか。写真から物悲しさを感じました。高橋虫麻呂さんは生きて都に帰る事ができたのでしようか。 私の家にほど近い太宰府では、菅原道真公は太宰府から生きて都に帰る事は出来ませんでした。 彦星のゆきあひを待つかささぎの門とわたる橋を我にかさなむ (訳) 彦星が逢瀬を待つという鵲の渡す橋を、私に貸してほしい。それを渡って都の妻に逢いたい。 https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/mitizane.html
2023年01月03日02時44分