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ささきの浜の反対側の山に入り、藪をかき分けて獣道のような隘路を降りて行くと、神社の裏手に出る。 琯沚(かんしゃ)神社。琯沚(かんしゃ)の意味を調べたが出てこない。 推測するに、琯は、王の官だから、国の機関のこと。沚は、水を止める、だから、海辺の地なので水難を防ぐ。したがって官立水防神社、といったところか。だとすれば、ここにあるのは納得だ。 本殿の横にいくつもの祠がある。 しばらくそこに立っていたら、木々の間から陽が射して来た。 光の筋がすうっと伸びてきた時に、何かが降臨したかのように感じられた。
夕日と祠の紙垂が神々しいですね。 ネットで調べたらこんなのもありました。 琯沚神社(茨城県高萩市高戸)を参拝し,その境内地にある横穴墓を拝見した。琯沚神社の祭神は,天之御中主神。「琯沚」は「かんしゃ」と読むようだ。「琯」は6つの穴をもつ古代中国の玉製楽器のことを意味するから,6基の横穴墓があったということを示すものかもしれない。ただし,元は「冠者明神」と称したようなので,装飾的に「冠者」を「琯沚」と置き換えたものであることが明らかなのだが,なぜ別の字ではなく「琯沚」という字で置き換えたのかを考えなければならない。なお,「冠者」は,高戸村の長者または祖のことを意味するのではないかと考えられる。
2022年07月03日22時14分
asasさん ほお、なるほど。調べた人がいるのですねえ。 琯は玉製楽器。6つの穴を持つ石で作った楽器か。オカリナのようなものか。神事の鳴り物かな。では、沚はなんだろう。 もとは冠者明神と称したとのことだが、冠者は本来武士の従者のこと。神社の名にふさわしいとは思えない。むしろ、琯沚神社が元で、村の人々がそれを書けずに、冠者と書いたのではなかろうか。もとが冠者で、それを日本語に無い琯沚に置き換えたとするのはいかにも不自然だ。明神は、神仏混淆の流れの中でそう呼び習わされたのではないだろうか。で、おそらく明治になって、神仏を分ける指示が出されてから、元の琯沚神社に戻されたのではないかと思う。 では、元に戻って、琯沚とは何か。 いずれにしても、興味ある名の神社なので、高戸地区の氏子総代か、もしいるならば、宮司に伺いたいところです。心がけてみましょう。 asasさん、とても興味深い情報をありがとうございました。
2022年07月04日00時02分
私もネットで調べてみたら 沚とは、なかす/川の中に土砂などが堆積してできた小島などの意味をもつ漢字。7画の画数をもち、水部に分類される。と出てきました。 ここから高戸小浜が見られる場所に行き着くようですね。万葉の道は遥か古に繋がっているのかと興味津々です。
2022年07月03日23時31分
頂雅さん おお、沚とは、中洲や小島のことですか。高戸浜の小島のことでもあり得るか。 高戸の小島には穴がいくつもある。asasさんのコメントによれば、琯はそれのことかもしれない。 つまり、琯沚は高戸浜の穴の開いている小島のことかもしれませんね。 ますます面白くなってきた。 頂雅さん、ありがとう。
2022年07月05日00時37分
ぶっちゃん
こんにちは。 昔の人々はこの場所に神が降臨される事をすでに知っていたとしか 思えませんね!
2022年07月03日15時34分