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エルツ城をにらむトルツェル城(跡)

エルツ城をにらむトルツェル城(跡)

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    エルツ城に向かって下り道を進むと、先ほどの展望台の直ぐ横にチラッと見えたトルツェル城が右上に見えてきました。 この左側にエルツ城があるのですが、距離がわずか230mで約40m高いところにある城跡です。 このトルツェル城、14世紀に敵対関係にあったトリーア大司教(選帝侯)が建てたエルツ城包囲城の一つなのですが、さて、実際の戦闘はどうだったのでしょうか・・・ これについては後ほど・・・(^_^) しかし、40mもの高度差から考えると、上に位置するこのトルツェル城が優位のように見えますよねぇ・・・

    コメント3件

    TR3 PG@

    TR3 PG@

    ちなみに、トリーア大司教(選帝侯)とは、中世にはコブレンツなどライン川沿いにも領地を拡大し、マインツ大司教、ケルン大司教と並んで神聖ローマ帝国の有力聖界諸侯となっています。 このドルツェル城を築いたのはトリーア大司教となったルクセンブルク家のバルドゥインという人物で、兄ハインリヒ7世とその孫カール4世の皇帝選出に関わって影響力を拡大した・・・そうです・・・ なにやらきな臭い時期ですよね(^_^; ちなみに、トリーアは世界遺産の街で以前に行ったことがあります。 「トリーア」というタグを貼っておきますので、興味のある方は見てみて下さい。

    2021年09月25日07時28分

    頑張れ!てんちゃん

    頑張れ!てんちゃん

    ドルツェル城はそれほど大きくなさそうだし、攻撃の拠点というよりも監視用の城だったかもしれませんね。 もしかすると、冷戦の頃に米国とソ連が人工衛星などで相互に監視していたように、お互いに拠点近くにこういった出城を作って、相互監視による共存策をとっていたのかもしれません。

    2021年09月27日00時42分

    TR3 PG@

    TR3 PG@

    頑張れ!てんちゃんさん、いつもコメントありがとうございます。 確かに近くでお互いに監視するような城はライン川沿いに沢山見かけます。 が、この両城の関係を色々調べていくと面白いことが分かってきています。 先ずは、この両陣営、トリーア大司教の内輪であること・・・ 後ほどupしますが、攻撃を仕掛けてはいますが、どうも本城の破壊を本気でやってない節があること・・・ トルツェル城の建築資材は決して長期耐久性のある材料で造られていないこと・・・ などです。 つまり、大司教がちょっと異論を唱えたナンバー2の立場にあるエルツ一族を脅しているようにしか見えないのです。 この14世紀の諍い後はエルツ一族はトリーア大司教のナンバー2として仕え続けますし、後世にはトリーア大司教(選帝侯)にも人材を輩出していますからね(^_^; 内輪もめを、ちょっと真剣にしてしまったというか、怒った大司教に従わざるを得ない諸侯が仕方なしに・・・というように感じてます(^^;ゞ

    2021年09月27日18時10分

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