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人生がつまらない

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    突然なにをいってるんだと思われるかもしれない。 しかし、個人的な思いと、この社会の閉塞感が合わさって、ほんとうにそう思う。 あまりよくない傾向だ。 これを打破するために、今ある材料を使って料理をするようにミックスさせて考えてみよう。 まず、最近のトレンド食材。 「想像力」、「テクノロジー」、「共有」をキーワードに掘り下げていこうと思う。 もっと深く、もっと深く、、、その底の底に光は見えるのか? 以下、コメント欄に続きます。 久しぶりに長文になってしまいそう、

    コメント2件

    こう月

    こう月

    「想像力は人生をつまらなくする」 おかしな話だが、ほんとうにこんな経験をしたことがある。 それは10年くらい前に家を建てたときに起こった。 当時の私は住みやすい家にこだわっていた。 何度も何度も図面を見て、自分がそこで生活している姿を想像して、何度も何度も図面を修正した。 それこそ寝ても覚めても。何千時間も。 その結果、悟りが開けるようになった。 じゃなくて、その結果、目を閉じて頭の中で想像するだけで、ソファーから歩いてトイレに行けるようになり、初夏の朝日が玄関の窓から入る角度まで見えるようになった。 こうして完成した家は、不満点ゼロの想像通りの家になった。 同僚は「家を建てると、うちに帰るのが楽しくなる」といっていた。 しかし、私にとっては想像通りの生活があるだけで、まったく感動はなかった。 子どもが増えたとしても、拡張性は考慮されているし、夫婦だけになったとしても想像通りに家具を配置できる。 結果、住んでみてまったくうれしくなかった。 それは今も続いている。 家は人生で一番大きな買い物といわれるが、どうやらその買い物に私は失敗したようである。 ここでの教訓は「あまりに鮮明な想像力は体験の感動を奪う」というこだ。 キーワードは"鮮明"という言葉。 例えば、こんな体験をした。 先日、ある芸能人と顔が50cmくらい接近することがあった。(マスクなし、フェイスガード付き) しかし、そこでも感動はなく、ただ「テレビのままだ」と思っただけだった。 昔のアナログ放送は、ぼやけていて、離れてしまうと顔の判別がつきにくかった。 しかし、今のハイビジョン放送は、ひな壇芸人が生まれるほど、たくさんの人が小さく映っていても、細かな表情までわかるほど鮮明だ。 人は見えない部分は想像で補う。 そして、その想像と実際に会った時の"ズレ"が感動を生むのではないか?(もしかしてモザイクが感動を生む?) さらにこれから4K放送が始まる。 テレビを見ただけで、体験する時と同じくらいのクオリティーで映像がみれるようになる。 その鮮明な映像は自分の想像力を補強して、実際にそれを体験したとしても、"ズレ"が少ない状態になる。 その状態で、はたして今までと同じように感動することができるのか?

    2021年08月21日15時05分

    こう月

    こう月

    「テクノロジーは人を幸せにはしない」 最近、好きなアーティストがハイレゾで音楽を配信している。 ハイレゾとは、CDよりいい音のこと。 カセットテープよりCDがいい音なのはわかる。 しかし、CDよりいい音がわかる人が、はたしているのだろうか? もしかしたら、子どもころからハイレゾを聴いていたら、CDがカセットテープみたいに聴こえるのだろうか? 同じことが情報量が4Kの4倍になった8K放送にもいえる。 リビングのように離れた位置からテレビを見る時、4Kと8Kはどちらもあまりに鮮明すぎて、人の目では区別ができないそうだ。 そんなものが本当に必要なのか? 大人が区別できないのなら、それはあきらかに子供達のものだ。 小さい頃から8K放送を見ていれば、4Kは汚いとわかるかもしれない。 しかし、これにも限界がある。 人の目は5億6千万画素といわれるが、それにデジカメの性能が近づきつつあるからだ。 ハード的に人間の体で感知できないものを作ったとしても、まったく意味がない。 人を幸せにする前に、テクノロジーが人に追いついて、そこで限界をむかえる。 「鮮明な体験の共有は、人から"はじめて"を奪う」 今では誰でもドローンで見たこともない4K映像が撮れるし、スマホでも4Kの動画が撮れる。 それを簡単にネットで共有できる。 ほとんどのことが体験するまえにあらかじめ見てしまい、鮮明な想像が頭の中に生まれてしまっている。 さらに、360度カメラで撮った4K映像をVRゴーグルで見れば、鮮明なバーチャル空間を手軽に体験することができる。 もうこれは"鮮明"と"体験"のエレクトリカルパレードや!! ここで反論として、実際に見たものと共有する体験は違うといわれるかもしれないが、そこに人の想像力がくわえられると、実際を超えてしまうことだってある。 そして実際に体験した時、絶望にかわる。 やっぱりネガティブなことばかりになってしまった。 はたして光はあるのだろうか? ここからは視点を変えて、もっと自分の実情を考えてみよう。 〜現状考察〜 現在は子どもは4人。妻は1人。ねこは3匹。 肉体的な遺伝子は、さらに遺伝子をばら撒きたいと思っているが、それを不毛とも思っている。 なぜなら、近代の人間社会では、子どもが大人までしっかりと育つ確立が高いうえに、ここまでテクノロジーが発達した社会で、もっと効率的な遺伝子の残し方を模索しているから。 そう考えると、性衝動はもはや邪魔なものでしかない。 ある程度利用することはできるが、思考や時間の妨げにならないように積極的に排除していったほうがいい。 そもそも遺伝子とは自分自身のコピー。 自分がなくなったとしても分身が残ればいいという発想。 つまり、自分の文化が社会に広まり、それが存続することを望んでいる。 そして文化とは、感じること、考えること、表現すること。 感じることは目で見る写真、動画。耳で聞く耳コピを重視しよう。 考えることは、感じたことと本で読んだことをミックスしよう。本同士でもよい。 表現することは従来の方法とテクノロジーによる方法をミックスしよう。 !?、、、すいません、、考えをそのままたれ流し状態でした! こんなにありのまま表現して大丈夫か、、? でも、少しずつ光が見えてきた、、。 キーワードは"文化"かな? それってたぶん、些細な違いがわかるということ。 その違いを表現できるということ。 だいたいの体験はやりつくした。 というか体験していなかったとしても、テクノロジーによって鮮明に想像できてしまう。 だとしたら、些細な違いから文化をみつけて、そこらか新しい体験を創造していくことしかできないじゃないだろうか? んー、むずかし(^_^;) まだまだ掘り下げることはできそうです。 けど、今回はここらへんまでにします。 またまた、長々とここまでお付き合いいただき、ありがとうございましたm(_ _)m あっ!ちなみに作品のモデルさんはとても素晴らしい方でした。 もうそれは"想像"を絶するほどに あれ?

    2021年08月21日15時10分

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