快傑ハリマオ ファン登録
J
B
今から50年前の上野駅のひとコマです。列車名は覚えていませんが、夜行列車で東北方面からの帰りでしょう。この写真の右側をご注目を。昔はホーム柱に吸い殻入れがどこにも設置されていましたね。また、その上の小さな看板。これもよく見かけました。 顔がハッキリ認識されていますが、昭和の時代のひとコマとして、お許しください。
Left alone さん 昭和の時代を過ごしてきた者は、いまだにあの頃が忘れずにいます。時代は平成、令和と移り変わっているのに。 お気に入り登録、コメントありがとうございます。
2021年06月08日16時50分
上野発の夜行列車には本当にお世話になりました。 就職の面接でも寝台特急でしたが、一家総出で見送り、花親は着物でまるで一世一代の花道を的な感じでしたが、当時は東京に出るという事が如何に大変なことだったか・・・。 今は便利過ぎてそのような感慨深い気持ちを味わえない若者はある意味不幸かも(笑)
2021年06月08日19時12分
おー。懐かしすぎです。 柱の灰皿。当時よく利用させていただきました。 みんな列車が到着する寸前まで吸っているので、消しもせずに捨てるものだから、この灰皿からもくもく煙が上っていたのを憶えています。 上野駅。 むかしは東北地方への玄関口でしたね。特急も夜行もぜんぶ上野から出ていたと記憶しています。 曲の「あゝ上野駅」「津軽海峡冬景色」なども北の玄関口らしい歌だったと思います。 写っているご婦人方ですが服装もそうですが背のリュックのデザインが昭和しています。 懐かしくすばらしい作品です。 ヽ(^◇^*)/
2021年06月08日21時35分
オニカマ さん おっしゃる通り、この灰皿から煙がモクモクと。噎せかえるような強烈な臭いでした。今の上野駅は単なる駅に変わってしまいました。寂しい限りです。 お気に入り登録、コメントありがとうございます。
2021年06月08日21時45分
三午楼 さん そう言えば、この頃の駅の放送は、終着駅を言ったあと「長らくのご乗車、お疲れ様でした。」と言っていましたが、JRになってからは、「疲れるような列車を運転しているのか。」の声が、あったとか、なかった。とかで、現在では使われていませんね。 お気に入り登録、コメントありがとうございます。
2021年08月16日09時11分
ある男の写真日記
ファッションといい この時代が一番いいような気がします。 ただ、それは昭和に生まれ育ったからでしょうね。(苦笑
2021年06月08日16時45分