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邦題「大正浪漫」 「大正ロマン」を代表する名として「竹久夢二」 の絵を表紙に使ったセノオ楽譜は一世を風靡したといわれる またここ浅草では「モダンボーイ」「モダンガール」モボ・モガが流行し 榎本健一らの「浅草オペラ」が花開いた。 Asakusa Opera『しゃれおとこ』 https://www.youtube.com/watch?v=4Xjde1aWrhY
神奈川の田舎出身のため、古き良き時代の浅草をよく知りません。 モボ・モガの言葉は知っていますが、浅草の街には独特な雰囲気があったのでしょうね。 浅草六区界隈を歩くと、そんな香りを感じることがありましが、現在とは全然違う空気が 漂っていたのでしょう。大正ロマン…昭和レトロとは違う色合いを感じます。 でも親父が大正生まれで今年で98になりますが、大正ロマンとは程遠いです(笑)
2021年03月17日18時36分
キュリー主人さん コメントありがとうございます 東京ではエノケンさんは喜劇王と言われ喜劇役者としては別格でしたね チャップリンと同じようで身体を使った喜劇に歌と踊りの日本のミュージカルのはしりのようでした 戦後は脱疽で片足でしたが、動きは変わらず素晴らしい芸です 特に記憶にあるのは菊田一夫演出の「雲上団五郎一座」の中に劇中劇で落語の「らくだの馬さん」が傑作中の傑作 いつも笑わない親父が笑ってましたから(笑) 共演者も三木のり平他芸達者が共演していた、それは本当に面白かったです 今のお笑いなんてまるで別ものでしたね~~^^
2021年03月18日20時02分
よねまるさん コメントありがとうございます 昔は銀座より喜劇・落語・漫才などの喜劇は浅草が一番でしたね モボ・モガのお洒落は銀座の方が先に流行っていたようですが、芸能関係は浅草方が盛んだったようです 戦後になっても映画・演芸はメッカでしたね 俺も父親によく連れていってもらい映画を見たのを記憶してます 渥美清・欽ちゃん・タケシなどストリップ小屋で幕間にコントをしていたのですからね 昭和30年代までは人で溢れていましたね~~^^
2021年03月18日20時12分
キュリー主人
私の幼少期に「奥さま映画劇場」と云うTV番組があって主に洋画でしたが古い邦画もたまに放映していました。エノケンが主演の映画も時々していました。 その中で「しゃれおとこ」を歌っていたのを今でもよく覚えています。私世代にとってエノケンと言えば「渡辺のジュースの素」のCMソングが一番印象に残っています。 「明治は遠くなりにけり」大正・昭和・平成も遠くなりにけり。ですね。
2021年03月17日12時41分